愛知の文学

鷹(たか)一つ

作品書名時代地域
鷹(たか)一つ 笈(おい)の小文(こぶみ) 江戸時代 名古屋市緑区・南区
豊橋市・田原市
  • 千鳥塚(名古屋市緑区三王山)

『笈の小文』は,人生を旅とした松尾芭蕉(まつおばしょう)の,1687年から翌年にかけての上方(かみがた)旅行記である。10月25日に江戸を立ち,東海道を経て故郷伊賀(いが)上野で正月を迎えた後,関西を遊歴し,4月23日に京に入った。芭蕉はこの紀行を,未定稿のまま大津の乙州(おとくに)に預け,江戸にもどった。芭蕉の死後,1709年に刊行された。愛知では,鳴海(なるみ)から吉田(豊橋)に引き返し,伊良湖(いらご)へ,そして再び熱田・名古屋に向かっている。
『笈の小文』の旅の途中,芭蕉は越智越人(おちえつじん)とともに三河(みかわ)の国保美(ほび,現在の田原市保美)・伊良湖を訪れた。保美では,隠れ住んでいた門人杜国(とこく)を訪ねている。翌年杜国は『笈の小文』の旅に随行(ずいこう)した。

作品

星崎(ほしざき)の闇を見よとやなく千鳥

〈訳〉星崎の星さえ見えない,この闇を見よと迫るのか,ああ鳴く千鳥よ。

星崎は,鳴海の北西2キロメートルばかりの地。現在の名古屋市南区星崎町。古来,千鳥の名所で歌枕。これを発句に催した歌仙を記念して築いた千鳥塚が鳴海町三王山に,句碑は名古屋市南区笠寺町の笠覆寺(りゅうふくじ)にある。

吉田(豊橋市)に泊まる。その時の句

寒けれど二人ぬる夜ぞ頼もしき

〈訳〉旅の宿は寒さがこたえるが,友(越智越人)と二人で寝るのは心強い。

あま津(豊橋市杉山町天津)にて

冬の日や馬上にこほる影法師

〈訳〉寒い冬の日に馬に乗るのは身が凍るようだ。見ると馬上の私の影が田に映っている。

伊良古崎(いらござき,伊良湖岬)は三河と地つづきで伊勢とは海をへだてた所だが,『万葉集』では伊勢の名所となっている。この浜の岬で碁石(ごいし)を拾う。これを「いらご白(じろ)」という。骨山は鷹をとるところで,鷹がはじめて海を渡るところとして知られている。

鷹一つ見付けてうれしいらご崎(さき)

〈訳〉荒涼とした海辺で鷹一羽が舞うのを見たうれしさよ。

名古屋にもどると,美濃,大垣,岐阜の風流人がやってきて歌仙(かせん,36句で一巻の連句)などを行った。12月の10日過ぎ,名古屋を出てふるさとの伊賀上野に向かった。