愛知の文学

竹斎

作品書名時代地域
竹斎(ちくさい) 野ざらし紀行 江戸時代 名古屋市熱田区
  • 信長塀(熱田神宮内)

『野ざらし紀行』は「野ざらしを心に風のしむ身かな」を出発吟として,1684年8月に門人の千里(ちり)を伴って深川の芭蕉庵(ばしょうあん)を出発し,伊勢・伊賀・大和・近江・美濃・尾張・甲斐(かい)を経て,翌年4月に江戸に帰るまでのことを記した紀行文である。五つの紀行文の最初のものであり,蕉風確立期のものであるという点において重要な意義を持つ作品である。
後半部分には,熱田神宮に参詣したときの様子が記され,さらに名古屋の俳人たちに向かっての挨拶(あいさつ)とした「狂句木枯(こがらし)の身は竹斎に似たるかな」という句がある。

作品

熱田神宮に参拝すると,境内(けいだい)はひどく荒れ築地(ついじ,土塀)は倒れていたが,しのぶ草が生えほうだいになっているのは,かえって心ひかれるものがあった。

しのぶさへ枯(かれ)て餅(もち)かふやどりかな

〈訳〉昔をしのぶといったしのぶ草まで枯れてしまっている荒廃した神社の茶店で,わずかに餅を買って空腹をしのぎ,しみじみと荒廃した神社の情趣をかみしめることだなあ。

名古屋への道中,このように句を詠(よ)みました。

狂句木枯(こがらし)の身は竹斎に似たるかな

〈訳〉狂句(俳句)を詠みながら,木がらしに吹かれて歩いている自分をみると,よくもまあの竹斎に似ていることよ。

仮名草子『竹斎』においては,主人公の藪(やぶ)医者竹斎は狂歌を詠みながら諸国を流浪し,東海道を下って名古屋にも足をとめた。