愛知の文学

うたたね

作品書名時代地域
鳴海(なるみ)の浦(うら)・八橋(やつはし) うたたね 鎌倉・室町時代 名古屋市緑区
知立市

『うたたね』は作者の18歳の頃の日記である。作者阿仏尼(あぶつに)は生年未詳,孝安6(1283)年没。冷泉為相(れいぜいためすけ)の母で,『十六夜日記(いざよいにっき)』の作者として知られるが,『続古今和歌集』『玉葉和歌集』『風雅和歌集』など多くの歌集に採られる名高い歌人で,当時の歌壇では第一人者とされた。
前半は安嘉門院(あんかいもんいん)に女房として仕えたころに身分違いの貴族と恋をするが,その人に忘れられた恨みから髪を切り出家し,西山,愛宕(あたご)に住んだことを記し,後半は,義父の平度繁(のりしげ)に伴い浜松に下り,都に戻るまでを記している。

これやさはいかに鳴海の浦なれば思ふかたには遠ざかるらむ

〈訳〉これがさては鳴海の浦か。一体どうなるか知れない身だから,思う都から遠ざかりこの地まで来ているのだろうか。

作品

10月20日あまりに都を出立。浜松への下向の途中,尾張(おわり)の鳴海(なるみ)の浦と三河(みかわ)の八橋(やつはし)とに立ち寄る。ともに,歌枕として知られた地である。尾張の国は大きな川が多い。鳴海の浦の干潟(ひがた)はうわさに聞いたよりもおもしろく,浜千鳥(はまちどり)が群れをなし,塩をつくる釜(かま)の小屋が古びてゆがんで立っているのも珍しい。
しかし,何の考えもなく京の友といっしょに来た身なので,心の内は苦しい。「鳴海」と「いかになる身」を掛けて歌を詠んだ。
三河の八橋は,昔とようすが変わってしまったのか橋は一つだけ。かきつばたが多いと聞いたが草木はない。(『伊勢物語』の)在原業平(ありわらのなりひら)を思い出し,どうしてそのような歌が詠めるのか,おかしな気分になった。