愛知の文学

平家物語

作品書名時代地域
洲俣(墨俣,すのまた)合戦 平家物語(へいけものがたり) 鎌倉・室町時代 木曽川・矢作川

『平家物語』は鎌倉時代初期の軍記物語。平家の栄華と没落を,仏教の因果説と無常観(むじょうかん)を基調として描いている。『平家物語』は琵琶法師(びわほうし)によって語られたものを「平曲(へいきょく)」という。現在「平曲」が伝わっているのは名古屋だけである(『名古屋地誌』)。

栄華を誇った平家の勢力も,治承(じしょう)4(1180)年の,以仁王(もちひとおう)の平家追討の令旨(りょうじ)が発せられたころから,急速に峠(とうげ)を下り始める。5月23日,宇治平等院の合戦で,以仁王・源頼政(よりまさ)討死。同8月17日,源頼朝(よりとも)が伊豆に挙兵。10月23日,富士川合戦で平家敗走。11月13日,福原に遷都(せんと)するが,12月2日,再び都遷(うつ)り,と続く。次々と平家への謀反(むほん)が告げられる中,翌年には,大黒柱の平清盛が熱病に倒れる。混乱収まらぬ中,源氏が尾張(おわり)まで侵入してきたことが都に急報され,木曽川西岸の美濃の洲俣(すのまた)まで三万の平家軍が急行する。

尾張(おわり)と美濃(みの)の国境の木曽川をはさんでは,これ以外にも多くの戦いが行われている。承久の乱(承久3,1221)年の折の戦いが『吾妻鏡(あずまかがみ)』に見られる他,『太平記』にも暦応元(1338)年や観応三(1352)年に南朝方と北朝方との大規模な戦いが行われたという記述がある。また,信長の美濃侵攻の際の,秀吉の墨俣一夜城の話も有名である。
矢作川をはさんでの戦いの記述も『太平記』に見られる。後醍醐(ごだいご)天皇に反旗をひるがえした足利軍が新田軍と最初に戦ったのがここであり,前後や合戦の記述も詳細で興味深い。三河(みかわ)は,足利家の重要な基盤であったこともあり(細川,今川,一色,吉良氏などは足利氏の流れを汲(く)んだ三河の豪族である),『太平記』の中でも重要な意味を持っている。

作品

源氏の兵は六千,さんざんに敗れて源氏の大将行家は東に退却する。行家は三河の矢作川で橋をはずして防戦するが,またしても敗れてしまった。
しかしこの時,平家の大将知盛が病気になって京に帰ってしまった。攻めなかったので,その後,東国は草も木もみな源氏になびいた。