愛知の文学

義朝の最期

作品書名時代地域
義朝(よしとも)の最期(さいご) 平治物語(へいじものがたり) 鎌倉・室町時代 美浜町
  • 「野間大坊」とよばれる
    大御堂寺(知多郡美浜町)

  • 義朝の墓(大御堂寺)

『平治物語』は,保元の乱に続いて起き,平家興隆のきっかけとなった平治の乱を記した軍記物語である。
平家に追われた源(みなもとの)義朝一行は,郎党鎌田正清(かまたまさきよ)の舅(しゅうと)である長田忠致(おさだただみね)を頼って,木曽川河口から伊勢湾を通って知多(ちた)の内海(うつみ)の地に立ち寄った。しかし義朝は暮れもおしつまった12月28日,彼の首をとれば大変な手柄になると思った長田父子によって鎌田とともに討たれてしまった。義朝38歳の若さであった。
通称「野間大坊(のまたいぼう)」と呼ばれる知多の「大御堂寺(おおみどうじ)」には,義朝や鎌田の墓が今も残っている。その義朝の墓には,木太刀がうず高く供えられている。裏切られた義朝が湯屋(風呂)で襲われたときに,「せめて木の太刀の一本でもあったならば」と言ったことがいわれである。