愛知の文学

更級日記

作品書名時代地域
高師(たかし)の浜から 更級日記(さらしなにっき) 平安時代 豊橋市・豊明市
豊川市
名古屋市緑区
  • 二村山に残る碑(豊明市)

『更級日記』は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の自伝的な作品である。作者の13歳頃から52歳頃までが回想風に綴(つづ)られている。地方官であった父に連れられて関東の上総(かずさ)へ下向(げこう)し,多感な少女時代を田舎で過ごすことになった作者は,姉や継母(ままはは)の影響で物語に目覚めていく。やがて早く都にもどってたくさんの物語に触れたいと思うようになった後,念願がかなって都にもどることになる。

日記の冒頭部分は紀行文であり,上総から都に至るまでの道中が描かれている。作者一行は9月3日に出発し,苦労の多い旅を重ねて,10月下旬ごろに遠江(とおとうみ)を経て三河(みかわ)に至った。今から向かうところは,歌枕(うたまくら)の地として知られる三河の高師(たかし,豊橋市東南部)の浜という。また,『伊勢物語』で有名な八橋(やつはし,知立市)は名だけで橋はすでにない。二むら(岡崎市と豊明市の二説ある)の山中の庵に泊まると,一晩中,柿が庵の上に落ちてきて皆で拾った。宮路の山(みやぢのやま,豊川市)を越えるころ,10月の月末なのに紅葉の真っ盛りだった。「しかすがのわたり」(豊川の渡し場)はその名の通り思い悩みそうでおもしろい。

尾張の鳴海(なるみ,名古屋市緑区)の浦を過ぎるころ,夕方潮が満ちてきたので大急ぎで走り過ぎた。その後,美濃(みの)から近江(おうみ)へと旅を続けていく。