歴史のQ&A

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応仁の乱と銀閣はどちらが先なの?

質問

応仁の乱がおきたのと,銀閣ができたのは,どちらが先だったのでしょうか?

解答

室町幕府の8代将軍,足利義政は,はじめは熱心に政治を行いました。しかし,将軍のあとつぎ争いや,幕府を支える有力な守護大名家のあとつぎ争いをしずめることができず,政治への関心も失ってしまいました。

やがて2つの大きな勢力が対立するようになり,ついに戦乱となりました。敵と味方が入り乱れて,京の都は放火や強盗,戦闘で乱れに乱れました。京都の寺院も火災によって,多くが失われました。3代将軍,足利義満がつくった金閣のある鹿苑寺(ろくおんじ)も被害にあいましたが,さいわい金閣は焼失をまぬがれました。

では銀閣のある慈照寺(じしょうじ)はどうだったのでしょうか。

応仁の乱は1467〜77年にかけておこりました。書院造りで有名な慈照寺の東求堂(とうぐどう)は,応仁の乱が終わった約10年後に完成しました。銀閣の完成は,それからさらに数年後のことです。

よって,銀閣の完成より応仁の乱の方が先です。

ちなみに,足利義政は1473年に,実子の義尚に将軍をゆずったので,銀閣は義政が将軍のときにつくったものではありませんよ。

なるほど!