歴史のQ&A

弥生人は米食人?

質問

弥生時代になると稲作が広まると書いてありましたが,米が主食になった社会と考えてよいでしょうか?

解答

結論から言いますと,弥生人が米食人というのは間違いです。

遺跡から出てくる穀物の中でも,66%はイネですが,ムギ・ヒエ・アワ・キビ・ソバなど多様な穀物が一緒に出てきます。また,植物食という範囲で見ると,ドングリ類がだんぜん多く,二番がイネ,ついでモモ,マメ,ヒョウタン,クルミ,クリ,ムギと続きます。

吉野ヶ里遺跡でも,食糧をささえるもののうち,コメはわずか20%程度といわれます。寺沢薫ほか「日本の歴史3」講談社に,そのことがくわしくのべられています。

さらに,福岡県横隈遺跡や奈良県唐古遺跡から推定される稲の収穫量は,「1反あたり60kg。現代では1反あたり400kg」。現代から見れば1/6以下の生産性であったと考えられています。

縄文時代と弥生時代の人口の変化については,縄文時代は早期・前期・中期・後期・晩期の五つの時期に区切った人口推計と弥生前期とをあわせて示したグラフがありますが,このグラフは,一つは,温暖な縄文中期に人口増加が目立つことを表しています。二つは,縄文時代の晩期になると,人口の減少がいちじるしくなります。社会が行き詰まった状態を思わせます。三つは,一転して弥生時代になって人口の急増することを表しています。 不安定な食生活に比べて,食糧の中心にはならないが,保存性のある再生産率の高い稲作の成果を無視することはできません。

また渡来してくる人々の数も,私たちが想像以上に多かったと推計されています。