歴史のQ&A

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「義和団の戦い」と「義和団事件」のちがいは?

質問

義和団の戦いと義和団事件は,ちがうものですか?
おきた年も1899年と1900年があります。どういうことでしょうか?

解答

最初に,義和団の考えや動きを確認しておきましょう。

中国(清)に,拳法(けんぽう)で神通力を得ようという信仰団体がありました。この団体が義和団です。義和団は,災害や失業などで生活が苦しくなった村人たちを組織していき,大きなまとまりになりました。

また,この団体は,キリスト教の宣教師を,「自分たちの宗教を否定し,女性や子どもをキリスト教に入信させるため,中国の伝統的な価値観をこわす者」と考えていました。そこで教会や宣教師を攻撃しました。警官とも衝突するようになりました。1899年には「清を助け,西洋をほろぼす」というスローガンをつくり,山東省の各地に広がりました。

そのころ,清の政府内では,義和団を支持するグループと反対するグループがあり,対立していました。

1900年6月になると,義和団は,ドイツ公使を殺害し,北京の各国公使館を包囲するようになりました。そして,ついに清の政府は,日本・ロシア・イギリス・フランス・アメリカ・ドイツ・イタリア・オーストリアの8か国に宣戦布告しました。つまり,義和団のかわりに清の政府軍が,列強と戦うようになったのです。

1900年8月,8か国の連合国軍によって北京(ペキン)が占領されると,9月に清の政府は義和団の鎮圧を命じました。

細かくいうと,義和団の蜂起(ほうき)を「義和団事件」「義和団の戦い」といい,義和団を鎮圧した事件を「北清事変(ほくしんじへん)」「義和団事件」といいます。

その後のようすも確認しておきましょう。各国は,清に賠償金(ばいしょうきん)の支払いと,外国軍隊の駐留(ちゅうりゅう)を認めさせる条約を結ばせました。これを「北京議定書」といいます。1901年9月のことでした。

歴史の教科書では,上のように細かく区別をしないで,義和団に関するこの事件を,「義和団事件 1899〜1900年」としているのです。