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なぜペリー艦隊の船の数と,絵にかかれた船の数がちがうの?

質問

ペリーが1854年に横浜に上陸した絵には,艦隊の船が8隻えがかれていますが,教科書などでは7隻と書いてあります。どうしてちがうのでしょうか?

解答

1853年,アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーは,4隻の艦船を率いて日本に来航しました。そのうち2隻が蒸気船(サスケハナ号・ミシシッピ号),2隻が帆船(プリマス号・サラトガ号)でした。

久里浜(くりはま)で幕府に大統領の国書をわたしたペリーは,来年の再来を通告して,沖縄・上海・香港へ去ります。

しかし,ロシアのプチャーチンが長崎に来航したことを聞きつけたペリーは,予定をくり上げて江戸湾に再来しました。1854年のことです。このときのようすを,当時の記録から,少し細かく見てみましょう。

江戸湾にすがたを現した1月16日は7隻でした(蒸気船ポーハタン号・サスケハナ号・ミシシッピ号,帆船マセドニアン号・バンダリア号・サザンプトン号・レキシントン号)。翌月2月6日にもう1隻「サラトガ号」が加わりました。2月17日には,さらにもう1隻「サプライ号」が加わり,計9隻になりました。そして3月3日,日米和親条約を結びました。前回来航した「プリマス号」は不参加でした。

次に絵ですが,この絵は2月10日の時点をえがいたものです。「サラトガ号」が加わった数日後なので,8隻で正しいのです。

この絵は,ペリーに随行(ずいこう)した記録係ハイネがえがいたものです。「ペリー提督(ていとく)日本遠征(えんせい)画集」にのっていますよ。

横浜開港記念館には,この絵の複製品が売っているよ。