歴史のQ&A

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なぜ「桃山文化」を「安土桃山文化」といわないの?

質問

16世紀後半の文化を桃山文化といいますが,時代は安土桃山時代といいます。どうして安土桃山文化とはいわないのでしょうか?

解答

まず言葉がさしているものを確かめましょう。「安土」は,知っている通り,織田信長の拠点です。安土城を築き,城下町をつくらせ,楽市楽座の命令を出して,商業や流通を自由にし,人々を集めました。

安土城は,1576年に築き始めて4年後に完成しましたが,さらに4年後の本能寺の変のあとに燃えてしまいます。安土時代というのは,ほんのわずかな期間でした。

豊臣秀吉は1594年から京都の伏見山に伏見城を築き始めました。天下統一後も秀吉の拠点でした。よって,当時の最高級の文化が,伏見城を中心に,くりひろげられました。

ところが,徳川家康の時代になり,豊臣氏がほろぼされると,伏見城は取りこわされてしまいました。 伏見城のあと地には,桃の木が植えられました。それ以降,花見の名所になり,その辺り一帯を「桃山」とよぶようになったのです。桃山は当時のよび方ではありません。

さて,最初の「安土桃山文化はなく,桃山文化というのはなぜか」という質問にもどりましょう。

文化の面から見た場合,伏見城の時代が最もはなばなしく特色ある文化がくりひろげられました。 よって,「桃山文化」という言葉で,安土時代の文化もふくめて表しているのです。

政治の面から見れば,織田信長も豊臣秀吉も,新しい政策を次々と行いました。 よって,「安土桃山時代」という言葉で,2人の時代を表しているのです。