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愛知の文学

 

 

明治の新文学は愛知から

 明治10年代,日本の近代文学の扉を開いた坪内逍遥(つぼうちしょうよう)と二葉亭四迷(ふたばていしめい)は尾張藩の出身であった。
 坪内逍遥は尾張藩代官所役人の子として岐阜県美濃太田市に生まれ,明治維新後,父に従って名古屋にもどり名古屋県英語学校に進んだ。明治9年上京。
  明治18年,評論『小説神髄(しょうせつしんずい)』で文学独自の価値を主張し,人間の心理を描く近代小説のあり方を示した。
 
二葉亭四迷は尾張藩士の子として江戸尾張藩上屋敷に生まれ,明治維新後,名古屋の藩学校でフランス語を学んだ。後に上京。明治19年,『小説神髄』を発表した坪内逍遥を訪ねたことから文学者となる決意をし,その理論の実作となる『浮雲(うきぐも)』を書いた。言文一致体「だ調」の新鮮な文体を用い,人物の心理描写 に画期的なものであった。
 愛知県にゆかりの深いこの二人の作家の活躍によって,新時代の文学の方向は定まった。「日本近代文学は愛知から始まった」ともいえよう。 なお,尾張藩出身には耽美派(たんびは)の中心的存在として活躍した永井荷風(ながいかふう)がいる。
坪内逍遥
(つぼうちしょうよう)
浮雲(うきぐも)

明治後期

 半田市出身の小栗風葉(おぐりふうよう)は,『金色夜叉(こんじきやしゃ)』で有名な尾崎紅葉(おざきこうよう)の門下生で明治30年代を代表する作家。『青春』など時代をリードする作品で文壇に認められた。後年,豊橋に居を構えて活躍した。

大正から昭和前期(戦前)

 愛知を代表する大河小説「人生劇場」の尾崎志郎(おざきしろう),児童文学の新美南吉(にいみなんきち)らが出て活躍した。「人生劇場」はしばしば映画化もされ話題となり,南吉の作品は今日まで多くの愛読者を獲得し読み継がれている。
 また詩でも津島出身の金子光晴(かねこみつはる)は,戦争など自由を束縛(そくばく)するものに抵抗した作品を残した。少年時代を豊橋で過ごした丸山薫(まるやまかおる)は詩誌「四季」を創刊して近代詩に大きな足跡を残した。


昭和後期(戦後)から現代

 芥川賞の小谷剛(こたにつよし),直木賞の城山三郎(しろやまさぶろう)など,愛知出身,あるいは愛知にゆかりのある作家が多く活躍している。児童文学をはじめ小説・詩・短歌・俳句などいろいろなジャンルでの同人誌活動もさかんである。



 評論『小説神髄(しょうせつしんずい)』で明治新時代の文学のあり方を示した後,逍遥は雑誌「早稲田文学(わせだぶんがく)」を創刊した。ここを拠点に演劇の革新を開始した。 歌舞伎(かぶき)などの古典芸能が大衆の強い支持を得ていた時代に,その空想的な筋(すじ)立て批判。自らも『桐一葉(きりひとは)』などの戯曲(ぎきょく)を手がけ,新時代の演劇をめざして新しい風を送った。 このような逍遥の演劇に対する情熱は,多感な少年時代をすごした名古屋でつちかわれた。名古屋に転居した逍遥は,母に連れられたびたび芝居(しばい)を見に行った。これらが後の逍遥の道を決定したといえる。演劇の魅力(みりょく)を知ることになったのである。 『シェークスピア全集』の完訳などの功績を称(たた)えて,早稲田大学演劇博物館が設立されている。


坪内逍遥少年時代住居跡の碑
(名古屋市中村区名駅3)