愛知の文学

一族再会

作品地域分類作者
一族再会 あま市 随筆 江藤 淳(えとうじゅん)
  • 旧美和町役場(あま市)

  • 葛の葉稲荷
    (あま市)

江藤淳は戦後を代表する評論家の一人である。昭和8(1933)年に東京で生まれる。昭和31(1956)年,慶応大学在学中に『夏目漱石(なつめそうせき)』を発表し,注目される。漱石を求道的(ぐどうてき)理想主義者とする従来の見方を否定し,作家としての漱石を生活者との内的関連においてとらえる。生活者立場の重視には,実生活からの逃避の手段としての文学のとらえ方や近代日本文学の持つロマン主義的傾向への批判が含まれる。昭和36(1961)年『小林秀雄(こばやしひでお)』を発表,評論家としての地歩を確かなものとする。翌年から二年間,アメリカに渡り,アメリカという異質な社会のなかで国や個人の存在についての思索(しさく)を深めている。昭和45(1970)年に漱石研究の集大成として『漱石とその時代』,昭和48(1973)年には『一族再会』,昭和49(1974)年には『海は甦(よみがえ)る』を刊行する。その後文芸評論にとどまらず,社会評論や政治評論の分野においても多彩な活躍をした。

『一族再会』は自己の存在を確認するために自己の系譜(けいふ)をたどったもので,小説,随筆,評論といずれにも限定できない広がりを持つ作品である。母,祖母,祖父,もう一人の祖父など,すでに他界した近親者と,自分の記憶やさまざまな資料によって再会を果たし,「私」のよって立つ出所由来を究(きわ)め,「私」と他人との先にある社会や歴史との関わりを描き出している。「もう一人の祖父」では作者が母方の祖父民三郎(たみさぶろう)のふるさと愛知県あま市を訪ね,祖父の実像を浮かび上がらせる。祖父を生み育てた尾張の一集落の生活,その背後に大きく控える今も変わらぬ濃尾平野の自然,これらが魅力的に語られている。

平成11(1999)年,前年に長年苦労をともにした妻が病死し,自身も体調がすぐれず自ら命を断った。最愛の妻との闘病を記した『妻と私』は大きな反響を呼んだ。