愛知の文学

夏目漱石

作品地域分類作者
三四郎(さんしろう) 名古屋市中村区 小説 夏目漱石(なつめそうせき)
  • 夏目漱石
    (なつめそうせき)

夏目漱石は英文学者で小説家。本名は金之助。慶応3(1867)年に江戸牛込(うしごめ)で生まれる。帝国大学(現,東京大学)卒。五高(現,熊本大学)教授。明治33(1900)年イギリスに留学,帰国後,東京帝国大学(現,東京大学)講師,のち朝日新聞社に入社。明治38(1905)年,『吾輩(わがはい)は猫(ねこ)である』,次の『倫敦塔(ろんどんとう)』で文壇の地歩を確保した。
他に『坊っちゃん』『草枕(くさまくら)』『虞美人草(ぐびじんそう)』『それから』『門』『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』『行人(こうじん)』『こころ』『道草』『明暗』などの作品がある。その文明批評の高さと倫理(りんり)の追究の深さとによって近代日本文学の代表的作家となる。自然主義文学の立場からは余裕派と呼ばれた。漱石という号は,『晋書(しんじょ)』にある「漱石枕流」の故事に基づき,がんこ者または変わり者の意がある。大正5(1916)年に死去。

『三四郎』は,明治41(1908)年朝日新聞に連載された。『それから』『門』と続く三部作の第一作である。大学生小川三四郎の青春を故郷・学問・恋愛の三つの世界として描くことによって,青年が突き当たる東洋と西洋の問題や,平凡な日常の生活のなかにみずから波乱が生じるありさまなどを表そうとした。当時漱石の周囲には,文学に志し,漱石に敬愛をよせる青年たちが多く集まった。その門下生との関係が反映され,温かく懐かしい作品になっている。

作品の冒頭に近い部分で,熊本の旧制高等学校を卒業して上京する大学生小川三四郎は,汽車で乗り合わせた女と同宿し,度胸のない人だと笑われる。明治40年ころの名古屋駅前は,にぎやかで,目の前に二,三軒の宿屋があったという。

作品

しばらくすると「名古屋はもうじきでしょうか」と言う女の声がした。見るといつのまにか向き直って,及び腰になって,顔を三四郎のそばまで持って来ている。三四郎は驚いた。
「そうですね」と言ったが,始めて東京へ行くんだからいっこう要領を得ない。(冒頭)