愛知の文学

東三河と俳句

作品分類
東三河と俳句 俳句

種田山頭火(たねださんとうか)

種田山頭火は,明治15(1882)年に山口県の富裕な地主の長男として生まれる。酒造業を始めたが,破産。以後酒におぼれ,行乞(ぎょうこつ)流転の日々を暮らす。その破滅的な放浪の旅の中で自然と自己を見つめ続け,平明無技巧な自由律俳句を作った。「分け入つても分け入つても青い山」「てふてふひらひらいらかをこえた」などの句がよく知られている。昭和15(1940)年に死去。
紹介した各句は彼の日記から。

作品

日程場所俳句
昭和14年4月19日 知多師崎(もろざき)にて。 歩きつづけて荒波に足を洗はせてまたやつと一人となり私が旅人らしく
20日 渥美(あつみ)半島の伊良湖(いらご)から赤羽根(あかばね)への旅にて。 岩鼻ひとり吹きとばされまいぞ波音のたえずして一人
21日 赤羽根から豊橋への旅にて。 風のなか野糞する草の青々さめざめ濡れてかたすみのシクラメン
22日 豊川稲荷にて。 春雨しとゞ私もまゐります
22日 鳳来寺(ほうらいじ)へのたびにて。 春雨の石仏みんな濡れたまふ山の青さ大いなる御仏おはす石だん一だん一だんの水音

富安風生(とみやすふうせい)

富安風生は,明治18(1885)年に現在の豊川市金沢町で生まれる。高浜虚子(きょし)の門に入り,虚子亡きあとホトトギス派の重鎮として活躍した。俳誌「若葉」を主宰。句集『草の花』。昭和54(1979)年に死去。
帰省した折の句に「万歳(まんざい)の三河の国へ帰省かな」がある。「松の芯若ささながら立ち揃ふ」は母校(現,時習館高校)に寄せたもので,句碑がある。

臼田亜浪(うすだあろう)

臼田亜浪は,明治12(1879)年に生まれる。反新傾向・反守旧の,自然観照と生活に根ざした定型季感詩を目指した。俳誌「石楠(しゃくなげ)」を創刊主宰して,愛知県に多くの門人を育てた。昭和26(1951)年に死去。
渥美半島の江比間(えひま)を訪れた折の句「夕凪(ゆふなぎ)や浜蜻蛉(はまとんぼう)につゝまれて」などがある。