愛知の文学

小説 渡辺崋山

作品地域分類作者
小説 渡辺崋山(わたなべかざん) 田原市 小説 杉浦明平(すぎうらみんぺい)

杉浦明平は小説家・評論家。大正2(1913)年に愛知県田原市で生まれ,同地で没した(2001年3月)。町の教育委員や町会議員も務めたことがあり,その間の体験を痛烈な風刺作品『ノリソダ騒動記』『台風十三号始末記』などにまとめた。そういった,渥美半島の農漁村の政治への風刺の視点は『小説 渡辺崋山』にも随所に見られ,東三河弁を交えた軽妙な語り口の一方で,高野長英(ちょうえい),鳥居耀蔵(とりいようぞう),水野忠邦(ただくに)など周辺の人物の動向などを描いたスケールの大きい作品になっている。

昭和46(1971)年刊行の『小説 渡辺崋山』は原稿用紙3700枚に及び,毎日出版文化大賞を受賞した,筆者畢生(ひっせい)の大作である。この小説に限らず,筆者の崋山およびその周辺についての文章は多く,至る所に筆者自身の姿の投影が見られるが,昭和42(1967)年の小編『わたしの崋山』の中に,この小説執筆に至る経過や問題意識の所在がよく描かれている。

渡辺崋山は江戸後期,寛政5(1793)年生まれの蘭学者・経世論者・画家。通称は登(のぼり),華山のち崋山と号した。三河田原藩士(たはらはんし)で,藩家老となり,殖産興業につとめ,藩政改革を行った。一方で高野長英ら蘭学者とともに西洋事情を研究,天保9(1838)年『慎機論(しんきろん)』を著し,幕府の鎖国政策を批判。このため,守旧派の目付(めつけ)鳥居耀蔵による蛮社(ばんしゃ)の獄によって捕らえられ,国元に蟄居(ちっきょ)を命ぜられる。崋山の窮乏を助けるため,弟子たちが江戸で開いた画会が,蟄居中不謹慎とうわさされ,藩主に累(るい)が及ぶのを恐れ,天保12(1841)年自害した。