愛知の文学

東海道刈谷駅

作品地域分類作者
東海道刈谷駅(とうかいどうかりやえき) 刈谷市 記録 内田百けん(うちだひゃっけん)
  • 内田百けん
    (うちだひゃっけん)

  • 宮城道雄の供養搭(刈谷市)

内田百けんは小説化・随筆家。本名は内田栄造,百鬼園という別号を持つ。明治22(1889)年に岡山県で生まれる。東京帝国大学(現,東京大学)独文科を卒業し,法政大学などで一時教鞭(きょうべん)をとる。漱石に師事する。小説『旅順入城式』『贋作吾輩(がんさくわがはい)は猫である』,随筆『百鬼園随筆』『漱石雑記帖(ちょう)』などがある。昭和46(1971)年に死去。

昭和31(1956)年6月25日,琴の奏者宮城道雄(みやぎみちお)が東海道線刈谷駅構内東はずれで進行中の列車から転落し,不慮(ふりょ)の死をとげた。遭難(そうなん)の地には翌年5月,貞子未亡人,宮城会,刈谷市,同教育委員会などの手により立派な供養塔と交通安全地蔵尊が建立された。その翌年6月5日,故人と親交のあった内田百けんは二周忌(にしゅうき)を前に八代(やつしろ)からの帰途刈谷駅で下車し,供養塔をお参りし,霊をなぐさめた。そのとき,刈谷駅長に「刈谷駅で宮城名曲を放送しては」という提案をし,それを帰京後国鉄(現,JR)本社にも持ち込むとともに,「週刊新潮」に「滝廉太郎(たきれんたろう)の『荒城の月』を演奏する九州の豊後(ぶんご)竹田駅についで刈谷駅を第二の名曲駅にしたい」という寄稿をした。7月20日より,急行列車の停車のたびに,8月6日より,すべての列車がとまるたびに,箏曲(そうきょく)「千鳥の曲」「春の海」などの冴(さ)えた調べがホームに流れ,乗客の耳を傾けさせた。こうしたいきさつが『東海道刈谷駅』として,同年「小説新潮」11月号に掲載された。

記されている事実は,岡崎市の高瀬忠三(たかせちゅうぞう)氏が調査し,記述したものによっている。
宮城道雄は目が不自由であったが,洋楽を研究して「春の海」などの名曲を残し,日本ばかりではなく国際的にも有名であった。