消化系の構造と働き

ラクトースの分解と進化医学

ラクトース(乳糖:乳汁中に含まれる糖)はラクターゼによって,グルコースとガラクトースに分解され,体内に吸収される(図1)。ラクトースが分解されないと,下痢などの症状を引き起こすといわれている。東アジアにすむヒトの多くは,母乳を飲んでいる乳児期はラクターゼが合成され,母乳に含まれるラクトースを分解して,栄養としている。しかし離乳すると,次第にラクターゼが合成されなくなるため,乳製品などからラクトースを摂取すると,腸内細菌がラクトースを利用したときにできる物質による刺激や,大腸内のラクトース濃度が高まることで大腸内に水分がたまってお腹を壊してしまうことがある。

一方で,ヨーロッパやアフリカ,中東などの牧畜が盛んな地域では,離乳後もラクターゼを合成することができ,ラクトースを分解できるヒトが多い。これらのヒトは,ラクターゼ持続者とよばれる。

ラクターゼ遺伝子の近くには,ラクターゼの持続性に関係するMCM6遺伝子がある 。この遺伝子にはSNP(一塩基多型,注1)とよばれる,DNAのある1塩基が個体間で異なる場所が複数ある(図2)。ふつう,ヒトは離乳すると次第にラクターゼ遺伝子の発現が抑制されるが,ラクターゼ持続者ではMCM6遺伝子のSNPにより離乳後もラクターゼを合成できると考えられている。

MCM6遺伝子に含まれるSNPの場所は人種ごとに異なるが,アフリカの牧畜従事者でよく見られるSNPは7000年ほど前に生じたと考えられている。牧畜が盛んな地域において,ラクトースを分解できるラクトース持続者は生存に有利であったため,この変異が集団内に広まったと考えられている。

東アジアでもモンゴルなど牧畜が盛んな地域がある。こうした地域では,「馬乳酒 」とよばれる馬の乳をアルコール発酵,乳酸発酵(注2)させた飲み物が飲まれている。馬乳酒の発酵の際にはラクトースが分解されるため,ラクターゼがつくられにくいという遺伝的な背景を文化によって克服していると考えられている。また,日本のある乳酸菌飲料は,モンゴルの酸乳(乳を乳酸発酵させた飲み物)を参考にしてつくられたといわれており,ラクトースが分解された形で乳製品を摂取することができる。

このようにヒトがもつ遺伝子の違いや病気,症候群などの原因を進化の観点から考える学問を進化医学という。さまざまな病気や症候群が存在するが,それがヒトの進化の中でどのようにして生じたものなのかを調べてみると,おもしろいだろう。

注1

SNP(一塩基多型)とは,DNAの特定のある1塩基が個体間で異なるために生じる個体差のこと。たとえば,MCM6遺伝子のある塩基にはG(グアニン,G型)またはC(シトシン,C型)の場合がある。このSNPがC型のヒトはラクターゼ持続性を示すと考えられている。

注2

アルコール発酵と乳酸発酵では,それぞれ酵母や乳酸菌によって,エタノール(お酒の成分)や乳酸がつくられる。

【参考文献】

  • 井村裕夫.進化医学 人への進化が生んだ疾患.羊土社,2013
  • カール・ジンマー,ダグラス・J・エムレン.カラー図解 進化の教科書 第2巻 進化の理論.講談社,2017
  • Tishkoff, S., Reed, F., Ranciaro, A. et al. Convergent adaptation of human lactase persistence in Africa and Europe. Nat Genet 39, 31–40 (2007).
  • 宮本 拓.モンゴルの馬乳酒アイラグの伝統製法と微生物学的特徴.日本醸造協会誌.2017,112巻4 号,p. 223–233

【参考ウェブ】