理科便覧ネットワーク

学生を指導し,研究をする

大学教授(工学部バイオ応用化学) 滝澤昇さん [岡山理科大学]

どのような仕事ですか

理工系の大学の先生といえば,時間が自由で,一日中,好きな研究ばかりしていてきゅうりょうがもらえる,らくな仕事と思う人も少なくないでしょう。確かに,研究をして新しい真実を発見したり,人の役に立つ新しいものをつくり出すことは,重要な仕事の1つではあります。

だいがくきょうじゅの仕事としては,まずは教員として授業をし,学生を指導すること,次に研究をすること,そして大学を運営することです。アメリカなどでは,比較的若い時代からそれぞれの専門職に分かれて力を発揮していきますが,日本の場合は,1人ですべてをこなすことが求められます。以前は研究にたくさんの時間をかけることができましたが,最近では管理運営や,特に,教育に多くの時間をくことが求められています。好きな実験をしていればよいといった時代ではありません。

大学教員のしょくとしては,上から,きょうじゅじゅんきょうじゅこうじょきょうがあります。近年は,教育にかける時間や労力が大きくなったものの,上の位に上がっていくためには,いまだにほとんどけんきゅうぎょうせきだけが評価され,教育面や運営面での評価はほとんどされないのが現状で,じゅんけんちょになって来ています。

最後に,私の研究を少しだけ紹介しましょう。私は人の役に立つ微生物を自然界から見つけ出して,それを利用することをテーマとしています。具体的には,人間がつくり出した有害な化学物質をぶんかいして無害なものにしてしまう微生物や,はいぶつを役に立つものに変えてくれるせいぶつ,おいしい食品をつくり出してくれる微生物を見つけ出して利用する方法を考えています。

なぜこの仕事を選びましたか

もともとは高等学校の化学の先生になろうと思っていました。私の母はようえんの先生で,私自身も子どもと接するのが好きでしたし,また,父がやくざいということもあって化学に興味があったからです。でもじゅんすいな化学よりは,ちょっと生物がかった分野がおもしろそうだなあと思っていました。かといって,虫には触ることができない,動物や人の血を見るのはダメ,植物にはほとんど興味がないなど,「生物」向きではなかったです。

興味があったのは「でん」と,生物と化学の中間的な「こう」という分野でした。高校3年のある日,たまたま担任の先生の理科準備室にいたところ,ある女子生徒がやってきて,「はっこうこうがく」という分野を教えてくれました。この分野は,「微生物」を利用して,食品ややくひんをつくる技術をとり扱う分野でした。私は,「微生物」なら目に見えないし,殺しても「痛い」とは言わないし,血も流さない。酵素も大いに関係しているので,そこに決めました。その場に,その彼女が来なければ,私の今はなかったわけです。私の人生を決めた1人です。

高校の先生希望でしたが,大学の教員にはまったく興味はなく,むしろなりたくない職業の1つでした。しかし,高校教員の採用試験はなんかんで,何度かチャレンジしましたが,毎回不合格でした。まあはくごうをもっている高校教員もいてもよいだろう,と理屈をつけて,だいがくいんはくていに進みました。

大学院最後の年の春のある日,当時の指導教授に今の職場へじょしゅで行ってみてはと言われました。まあ話だけでもと考えて,じょうとなる教授の面接を受けたわけですが,そこで「大学での教育」という面でとうごうしてしまいました。その結果として,今ここにいます。人生,自分の思うようにはいかないものですが,自分の前に開けた道を進んでみると,新たな自分が見つかるものですね。

この仕事で,やりがいを感じるときを教えてください

だいがくいんせいや助手の頃は,世界と競って研究することに燃えていました。でも,現在は,大学教授はまずは「教師」であるベきと考えています。研究室に卒業研究で入ってきて学生さんが,技術を身につけ,新しい事実を発見したり,そして新しい自分自身を見つけて社会に出て行ってくれること,その手伝いを少しでもできているのなら,喜ばしいことです。

この仕事で必要な力・資格などを教えてください

「教員」としては,まずは人と接するのが好きなこと,そして人の面倒を見るのが好きなことですね。次には「実験・研究」をすることが好きなことでしょう。ただ,大学で研究ばかりしていると,社会の常識を身につける機会が,一般の人よりは少ないですので,この点は自ら常に注意しておかなければならないでしょう。

資格としては,まずは大学院へ進んで,「博士」をとることです。博士でなくても教授になる人はいますが,まれです。博士号は,研究者としてのある種のライセンスのようなものです。博士をとるためには,自分の好きな研究を集中してやれる力が必要ですね。