キュリー(ピエール)
プロフィール
Pierre Curie
フランス
1859年5月15日 ~ 1906年4月19日
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ノーベル物理学賞 (1903年) 「ベクレルによって発見された放射現象に関する共同研究」
おもな業績
- 圧電効果の発見(1880年) 結晶に圧力を加えると電圧が生じることを発見した。
- キュリーの法則(1895年) 磁性体(磁界の中に置くと磁石になる物質)の性質を研究した。
- ポロニウムとラジウムの発見(1898年) ウラン鉱石にふくまれるポロニウムとラジウムを分離,分析した。
解 説
優秀な物理学者であったピエールは,結晶に圧力を加えると電圧が生じる現象(圧電効果)を発見しました。現在,電子機器に広く利用されている水晶発信装置は,この研究がもとになっています。
また,磁界の中に置くと磁石になる物質(磁性体)の研究を行い,その性質をまとめて「キュリーの法則」としました。これは磁性体の研究において,大変に重要な成果になりました。
マリーと結婚した後は,はじめはマリーの放射線の研究を支援しながら,自身の研究を続けていました。しかし,マリーの研究の重要性から,2人でウランの放射線の研究をはじめました。この研究には,ピエールとその兄が,圧電効果を利用して開発した測定器も使われました。
ピエールとマリーは,ウラン以外にも放射線を出す物質を調べて,放射線は,外部からの影響により生じるものではなく,原子そのものから発せられていることをつきとめました。このような原子の性質を放射能,このような性質をもつ元素を放射性元素とよびました。さらに,ウラン鉱石には他の放射性元素がふくまれることに気づき,1898年,新しい元素としてポロニウムとラジウムの発見を発表しました。
ピエールはマリーとともに,1903年にノーベル賞を受賞しました。ただし,受賞理由は,新しい元素の発見ではなく,放射線の研究についてで,物理学賞の受賞でした。
新しい元素の発見には,その元素を含む物質を出して,その性質を調べる必要がありました。ポロニウムは,その性質の予想ができましたが,ラジウムの特定には苦労しました。また,天然にごくわずかしか存在しないため,ウラン鉱石からわずかしかとり出すことができません。大量のウラン鉱石を手に入れ,4年かかって分離を行い,ラジウムの性質を測定することに成功しました。
マリーとともに,貧しい中での研究を続けてきましたが,1904年にはパリ大学の教授となりました。マリーとともに,放射能の研究を続けていましたが,1906年,道路を横断しようとしたときに,馬車にひかれて亡くなりました。46歳の若さでした。
マリーは,ポロニウムとラジウムの発見により,1911年,ノーベル化学賞を受賞しました。ピエールはすでになくなっていたため,共同受賞はなりませんでした。マリーは授賞式で,成果の発端は,ピエールとの共同研究にあったことを語りました。
ピエールとマリーの研究は,原子物理学の基礎となる優れたものでした。特に,ラジウムから放出される大量のエネルギーの源は,のちにアインシュタインの理論によって明らかにされることになります。
なお,ピエールとマリーの長女であるイレーヌ・ジョリオ=キュリーは,その夫であるフレデリック・ジョリオ=キュリーとともに,1935年,ノーベル化学賞を受賞しています。キュリー一家は,マリー,ピエール,イレーヌ,フレデリックで,合計5個のノーベル賞メダルを得ていることになります。