0250(万斤)200→江戸時代の長崎⑶ 左下のグラフによると,銀と銅の輸出量が最も多か ったのは,それぞれ何年だ⑷ 幕府が下の年表にあるような政策をとった背景や意図を,貿易との関係から説明しよう。関 連1 江戸時代の長崎(川原慶賀筆。1820年)ABCD1234北0 69BEPFJ7_P0176-0177.indd 1779BEPFJ7_P0176-0177.indd 1772023/01/16 9:392023/01/16 9:39←←居住区居住区二の門二の門(身体検査)(身体検査)交易場交易場門番小屋門番小屋23SG_M04325000(貫)200001000010016505560657075809085(『通航一覧』『近世日蘭貿易史の研究』)95170005深めよう2 唐人屋敷(長崎唐館交易図巻) 清の人々の居住地(1689〜1859年頃)清の人々の居住地兵庫 神戸市立博物館蔵3 出島(川原慶賀筆「長崎出島之図」) 1636年に完成し,ポルトガル人1636年に完成し,ポルトガル人が居住。1641年にオランダ商館が平戸が居住。1641年にオランダ商館が平戸から出島に移った。 長崎大学附属図書館蔵から出島に移った。料理部屋通通つうつう詞詞じじ部屋部屋料理部屋カピタン別荘町人部屋町人部屋カピタン別荘畜舎畜舎番所番所カピタン部屋カピタン部屋大門大門植物園植物園画工部屋画工部屋表門表門外科部屋外科部屋玉突場玉突場1668年1685年1712年1715年1721年1727年1738年幕府が銀の輸出を禁止する(1672年以降,一部緩和)長崎における年間の貿易限度額を定める京都の織おり屋やに,中国産生糸だけでなく,日本産生糸の使用も命じる貿易において金・銀での決済をやめる。銅での支払限度額を定める朝鮮人参(→→p.200)を取り寄せる。朝鮮人参の栽培に成功する■摩藩士にさとうきび(黒砂糖の原料)の栽培を教わり,栽培を試みる朝鮮人参の栽培を希望する者に,江戸の御ご用よう達たし町人が種を売る事を許す銅箱の点検銅箱の点検輸出用の銅(棹棹さおさお銅銅どうどう))輸出用の銅(オランダ人オランダ人4 出島で行われた銅の検査(唐蘭館絵巻)長崎歴史文化博物館蔵5 棹銅 長さ20m 重さ約300g 京都 住友史料館蔵10つなげよう水門水門荷揚場荷揚場6 江戸幕府の政策 朝鮮人朝鮮人参は,参は,対対つしま馬馬藩を窓口に朝鮮からも藩を窓口に朝鮮からもたらされた。黒砂糖(←←p.20)は,は,たらされた。黒砂糖■摩藩を窓口に琉琉りゅう球球きゅう王国からもた■摩藩を窓口に王国からもたらされた(→→p.178)。。らされた長崎から中国・オランダへの銀輸出量長崎からオランダへの銅輸出量長崎の貿易港としての特色は,何だろうか?W 90mm H 78mmP.177長崎の絵を読み取ろう幕府の意図を考えようろうか。時 期関連ページ江戸時代の対外関係p.178海かい舶はく互ご市し新しん例れい p.183幕末の長崎 p.223読み取り例 p.176絵にみる長崎と貿易177177資資料料出島と唐人屋敷を比較した後,貿易のグラフや年表を読み取り,貿易の特色や影響を考察日本と中国を比較し,共通点や相違点を考察↓「新詳歴史総合」p.39右下⑴ 1の絵で,出で島じまと唐とう人じん屋や敷しきと長崎奉ぶ行ぎょう所しょを探そう。⑵ 1〜3の絵から読み取れることをふまえると,幕府が出島と唐人屋敷をつく った目的は,何だろうか。幕府は他の国や地域と,どのような貿易や交流をしたのだろうか?問いには「歴史的な見方・考え方」の視点を表示資料から考える歴史総合と日本史探究の接続その3「新詳歴史総合」の「資料から考える」は,半ページ構成が基本であるのに対し,「新詳日本史」は各1ページで構成。複数資料を用い,テーマをより広く・深く考察します。「新詳歴史総合」は,世界の中の日本を意識した読み取りであるのに対し,「新詳日本史」は日本を主体とし,日本国内において事象を多面的・多角的に考察することを重視しています。旧課程版に比べ倍増。入試傾向をふまえ,文字史料や初見資料を充実●主な増補題材 本パンフレットp.2参照被葬者にみる古墳時代の社会 本パンフレットp.14参照国際関係図にみる古代の外交系図にみる嵯峨天皇外国人の記録にみる織豊政権絵にみる長崎と貿易回想文にみる日本人移民風刺画にみる黄禍論グラフにみる貿易さまざまな立場にみる満洲事変選挙公約にみる55年体制読み取り資料は大判で掲載読み取り例(解答例)は,最も関係が深い基本ページに記載し,読み取り資料と学習項目とをつなげていますp.45p.67p.90p.163p.177p.239p.261p.277p.303p.345資料を読み取り, 思考力を伸ばす特集
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