閉へい塞そく石技術2 前方後方墳 写真は石 写真は石川県の雨の宮古墳群にある1川県の雨の宮古墳群にある1号墳号墳(全長約64m)。近畿地方。近畿地方から北関東に約400基ある前から北関東に約400基ある前方後方墳のうち,大型のもの方後方墳のうち,大型のものはいずれも奈良県にあるはいずれも奈良県にある(西山古墳〈約180m〉など)。(→→p.44)(←←p.41)3石室の構造粘ねん土ど槨かくてんじょういし天井石せっかんもっかん木棺・石棺ほり濠へきぎょくふきいし葺石えんとうはにわけいしょう円筒埴輪・形象埴輪前方後円墳上円下方墳前方後円墳の変遷出現期双方中円墳前方後方墳円墳方墳前期中頃中期前半(集英社『王権の争奪』)1 前方後円墳 上は奈上は奈良県良県のの■■はし墓墓はか古墳。出現期古墳で最大規古墳。出現期古墳で最大規模模(全長280m)。。纒纒まき向向むく遺跡にあり,遺跡にあり,卑卑ひ弥弥み呼呼この墓とする説がある。『日本の墓とする説がある。『日本(め)書紀』では倭倭やまと迹迹と迹迹と日日ひ百百もも襲襲そ姫姫ひめの命命みことの墓の墓書紀』ではとされる。左は岡山県の浦浦うら間間ま茶茶ちゃ臼臼うすとされる。左は岡山県の山山やま古墳。古墳。吉吉き備備び地方の出現期の古墳地方の出現期の古墳では,最古・最大(全長138m)。。では,最古・最大 鉄製の武具・農工具,銅鏡,玉,碧玉製の腕飾りなど(前方部)葺石(後円部)武具,馬具,日常生活の 用具など(後円部)八角墳(→→p.57)中期後半前方部が撥形ばち分布と形 態内部の構 造銅鏡(三さん角かく縁ぶち神しん獣じゅう鏡きょうなど)・玉・碧へき玉ぎょく腕飾り・鉄製の武器や農工具など呪術的なもの。被ひ葬そう者しゃは司祭者的性格円えん筒とう埴はに輪わが中心。形象埴輪(家形・器財埴輪)も出現ホケノ山古墳(奈良県桜さくら井い市)■はし墓はか古墳(桜井市)黒くろ塚づか古墳(奈良県天てん理り市)行あん灯どん山やま古墳(天理市)渋しぶ谷たに向むかい山やま古墳(天理市)浦うら間ま茶ちゃ臼うす山やま古墳(岡山市)石いし塚づか山やま古墳(福岡県苅かん田だ町)247頃 卑ひ弥み呼こ没(←←p.39)266 壱い与よ(?),晋に朝ちょう貢こうヤマト政権の成立(→→p.50)副葬品(→→p.44)埴輪実例 4主 な出来事近畿中央部で,最大規模の前方後円墳を造営。周囲に濠ほりや陪ばい冢ちょう(陪塚とも。大型古墳の周りにつくられた小型古墳)。地方勢力による大規模な前方後円墳も竪穴式石室に木棺・石棺を収納。4世紀末頃,朝鮮半島から九州北部に横穴式石室が伝わり,5世紀に近畿地方に広まる刀剣・甲かっ冑ちゅうなどの鉄製の武器・武具,馬具,冠,金銅製装身具など軍事的。被葬者は武人的性格各種形態の形けい象しょう埴輪(家形・器財・人物・動物埴輪)大だい仙せん陵りょう古墳(大阪府堺市)誉こん田だ御ご■びょう山やま古墳 五ご色しき塚づか古墳(兵庫県神戸市)造つくり山やま古墳(岡山市)江え田た船ふな山やま古墳(熊本県和なご水み町)稲いなり荷山やま古墳(埼玉県行ぎょう田だ市)(→→p.47)5世紀の初めから約1世紀の間,倭わの五王(讃さん・珍ちん・済せい・興こう・武ぶ)が中国の南朝に朝貢(→→p.46)竪穴式石室W 55mm H 55mmP.423 粘土槨出土状況「槨」は「棺棺かん」を収納・保護「槨」は「」を収納・保護する施設。石室をつくらする施設。石室をつくらず,ず,墳墳ふん丘丘きゅう上で棺を粘土な上で棺を粘土などで覆う。この写真では,どで覆う。この写真では,木棺は木棺は朽朽くちてなくなってちてなくなっている。粘土槨はいる。粘土槨は古墳前期・中期によくみられ,地域にによくみられ,地域によっては後期も継続する。よっては後期も継続する。石川 雨の宮1号墳 4 竪穴式石室 写真は奈良県の黒塚古墳 写真は奈良県の黒塚古墳で,古墳時代前期の古墳。木棺は残っていなで,古墳時代前期の古墳。木棺は残っていな23SK_E002い。石室内から銅鏡や刀剣類が出土。い。石室内から銅鏡や刀剣類が出土。長さ 8.3m5 横穴式石室 写真は奈良県の藤ノ木古 写真は奈良県の藤ノ木古で,古墳時代後期の古墳。羨羨せん道道どう奥奥に石棺や土器が見える。 石室全長 13.95mphoto/井上博道 協力/斑鳩町教育委員会墳墳(→→p.56)で,古墳時代後期の古墳。23SK_E003のの玄玄げん室室しつに石棺や土器が見える。後期(6〜7世紀)近畿中央部で大規模な前方後円墳。各地で小型古墳の増加(横穴墓・群集墳)。地域的特色もみられる終末期…豪族は大型の方墳や円墳,大王家は八角墳を造営横穴式石室が全国に普及。追葬できる家族墓(家形石棺)。九州などで装飾古墳が登場(ちく)(えん)せんどう羨道(えん)げんしつ玄室家形石棺など 埋葬方法の違いは,何を意味するのだろうか?Q解 説前期・中期の古墳にみられる。W 46mm H 28.5mm墳丘の上部から棺を安置する穴を掘り,P.42天井石をのせ,土をかぶせた。12p.45「被葬者にみる古墳時代の社会」読み取り例⑴ 鏃やじり・甲かっ冑ちゅう・鍬くわ形がた石いしが副葬されているときや,棺内に刀・剣が副葬されているときに,被葬者は男性であるといえる。車しゃ輪りん石せきや石いし釧くしろが腕の近くに配置されているときに,被葬者は女性であるといえる。⑵ 車輪石が被葬者の腕の近くにあることから,女性であると考えられる。(ちなみに,この人骨は妊にんしん娠の跡が確認されているため,女性であることは確実である。)⑶ 女性が減り,男性が増えた。背景 国内では複数の王統の存在や,王位継けい承しょうをめぐる対立を背景に,対外関係では朝鮮半島をめぐる軍事的緊張などを背景に,男性の王が増え,古墳が大型化した。解 説4世紀末頃,朝鮮半島から九州W 46mm H 28.5mm北部に伝わる。玄室と墳丘外部とを結ぶ P.42羨道をもち,追葬が可能である。アプローチがりをもっていたのだろうか?中期(4世紀末〜5世紀)武具・馬具のほか飲食用の土器(土は師じ器き・須す恵え器き)など日常生活の用具が中心形象埴輪を盛んに使用(畿内ではしだいに減少)。九州北部で石せき人じん・石せき馬ば藤ノ木古墳(奈良県斑いか鳩るが町)(→→p.56)新にい沢ざわ千せん塚づか古墳群(奈良県橿かし原はら市)高たか松まつ塚づか古墳(奈良県明日香村)(→→p.78)キトラ古墳(明日香村)(→→p.79)岩いわせ橋千塚古墳群(和歌山市)壬み生ぶ車くるま塚づか古墳(栃木県壬生町)龍りゅう角かく寺じ岩いわ屋や古墳(千葉県栄町)527 筑つく紫しの国くにの造みやつこ磐いわ井いの乱(→→p.50)538(552?)頃 仏教公伝(→→p.52)592 推すい古こ天皇即位(→→p.51)(大阪府羽は曳びき野の市)横穴式石室ヤマト政権と古墳は,どのようなつな石棺石棺424223SK_E0011古墳の形式古墳の出現とヤマト政権2古墳の時期区分時期前期(3世紀中頃〜4世紀後半)出現期…西日本各地に前方後円墳が出現(大規模なものは,近畿中央部に多い)しだいに東日本へも波及。東日本では前方後方墳が多い竪穴式石室や粘ねん土ど槨かくに木もっ棺かん・石せっ棺かんを収納
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