5 サン=ピエトロ大聖堂の「ピエタ」像十字架から降ろされたイエスの遺体を抱く聖十字架から降ろされたイエスの遺体を抱く聖母マリア。ピエタは敬敬けい■■けんな心,な心,慈慈じ悲悲ひ心の意。母マリア。ピエタは心の意。4 自画像自画像AB 2 「最後の審しん判ぱん」ミケランジェロ 教皇パウルス3世の命教皇パウルス3世の命により,ヴァチカン宮殿のシスティにより,ヴァチカン宮殿のシスティナ礼拝堂の祭祭さいだん壇壇に描かれ,1541年にナ礼拝堂のに描かれ,1541年に完成した。400名以上の人物が描か完成した。400名以上の人物が描かれ,中央では若々しいイエスが死者れ,中央では若々しいイエスが死者に裁きを下しており,向かって左側に裁きを下しており,向かって左側に天国に昇る人々を,右側に地獄へに天国に昇る人々を,右側に地獄へ堕堕おちる人々を描写している。ちる人々を描写している。(1536〜41年)部分 縦14.5m,横13.0m3 システィナ礼拝堂の祭さい壇だん40.540.5××13.213.2mm。天井の高さ。天井の高さ20.720.7mm。。天井に「楽園追放」などのテーマで旧天井に「楽園追放」などのテーマで旧約聖書約聖書創創そう世世せい記記きの場面が描かれている。の場面が描かれている。大聖堂の大きさ…東西186m,南北138m,ドームの高さ…133m,直径42m( ニッコロとジョヴァンニ画)ヴァチカン美術館蔵読みとろう2つの絵画では,人物の身体描写や感情表現にどのよう2つの絵画では,人物の身体描写や感情表現にどのような違いが見られるだろうか?な違いが見られるだろうか?当時の教皇庁の人物の感想史料…ミケランジェロは,パウルス法王(教皇)が見にきたときにはすでに作品の四分の三以上を仕上げていた。その際,法王のお供で礼拝堂にいた儀ぎ典てん長ちょうの謹きん厳げん居こ士じたるビアージョ・ダ・チェゼーナ氏は,どう思うかと聞かれたので,いとも荘そう厳ごんな場所にたくさんの裸体像を描いたのはなんとも不敬なことだ,裸体像はふまじめにもその恥ずかしいところまで見せている,法王礼拝堂用の作品ではなく,風呂屋か宿屋向きの作品だ,と言った。 1 「最後の審判」7 ヴァチカンヴァチカンのスイス人衛兵のスイス人衛兵6 サン=ピエトロ大聖堂((ヴァチカン市国) ヴァチカン市国) キリキリスト教世界最大の聖堂。1506年,スト教世界最大の聖堂。1506年,アプローチ ミケランジェロの「最後 ミケランジェロの「最後の審判」は,中世期の宗教画とどのようの審判」は,中世期の宗教画とどのような違いがあったのだろうか。当時の人々な違いがあったのだろうか。当時の人々の印象も踏まえながら,ルネサンスのの印象も踏まえながら,ルネサンスの意義や背景を読みとこう。意義や背景を読みとこう。 ミケランジェロは彫刻家を自自じ負負ふしていたが, ミケランジェロは彫刻家をしていたが,教皇ユリウス2世の強い望みでシスティナ 教皇ユリウス2世の強い望みで礼拝堂の天てん井じょう壁画を描くことになった(左上)。 ことになった(左上)。 高い足場の上で身体を曲げての作業が4年余高い足場の上で身体を曲げての作業が4年余り続き,首は曲がってしまい,したたり落ちり続き,首は曲がってしまい,したたり落ちた絵具が目に入り視力を落としたといわれる。た絵具が目に入り視力を落としたといわれる。(ヴァザーリ『芸術家列伝』)(ヴァザーリ『芸術家列伝』)ブラマンテがユリウス2世にブラマンテがユリウス2世に大改築を命じられ,ラファエ大改築を命じられ,ラファエロ,ミケランジェロに受ロ,ミケランジェロに受け継がれ,ベルニーニけ継がれ,ベルニーニが120年後(1626年)に完が120年後(1626年)に完成。ルネサンス様式成。ルネサンス様式建築の代表。建築の代表。(1501年)高さ174㎝ 大理石サンサン==ピエトロ大聖堂ピエトロ大聖堂サンサン==ピエトロ広場ピエトロ広場システィナ礼拝堂システィナ礼拝堂「楽園追放」「楽園追放」「最後の審判」「最後の審判」ヴァチカン宮殿ヴァチカン宮殿世界遺産13しよう宗教画に見るルネサンス宗教画に見るルネサンス探究中世の宗教画(12世紀)(12世紀)ミケランジェロ(1475〜1564)とサン=ピエトロ大聖堂ルネサンス期の宗教画(1536〜41年)(1536〜41年)169
元のページ ../index.html#13