大西洋 池い全け権田だ勇はや人とプラス東アジア南・東南アジア西アジアヨーロッパアメリカアフリカエリツィンプーチンージェフメドヴェプーチンポーランド領アチソン米国務長官2A2通信網の発達と情報伝達 ➡p.250・2511812181218371837184018404ヴェルヌ1ロケット号 1830年,マン 1830年,マンチェスター・リヴァプール間で世チェスター・リヴァプール間で世界初の鉄道営業運転が始められた。界初の鉄道営業運転が始められた。問い日本001234日本0黒09鉄道駅での新聞売店 1874年,ロンドンのチャリング・クロス駅のようす。駅構内を広告で1サンフランシスコ平和条約の調印サンフランシスコ平和条約の調印 平和条約をめぐり,単独講和か全面講和か 平和条約をめぐり,単独講和か全面講和かという議論が盛んになった。独立回復を急ぐという議論が盛んになった。独立回復を急ぐ吉田茂首相は,冷戦下の現状で全面講和は困吉田茂首相は,難として単独講和をすすめた。平和条約で連平和条約で連合国軍の撤退が決まったが,同日の午後に結合国軍の撤退が決まったが,ばれた日米安全保障条約により,日本は独立により,日本は独立後の安全保障をアメリカに委委ゆだねることになった。後の安全保障をアメリカにねることになった。Qロロシシアアはは,,ななぜぜウウククラライイナナののNNAATTOOベラルーシ中印ロシア領ソ連ヨーロッパ現代の諸課題現代ロシアの動向とウクライナ情勢旧ソ連諸国の特色NATOの東方拡大と大ロシア主義 旧ソ連の構成国や衛星国であった東欧諸国は,次々 旧ソ連の構成国や衛星国であった東欧諸国は,次々にNATOへ加盟した。NATOの東方拡大をロシアの安にNATOへ加盟した。NATOの東方拡大をロシアの安全保障への脅脅きょう威威いとみたプーチンは,帝政ロシア・旧ソ連全保障へのとみたプーチンは,帝政ロシア・旧ソ連時代の大ロシア主義に基づき,NATO・EUへの加盟を時代の大ロシア主義に基づき,NATO・EUへの加盟を求めるウクライナに侵攻し,西欧諸国との対立を深めた。求めるウクライナに侵攻し,西欧諸国との対立を深めた。資料を読み取って考察し,「諸地域の結びつき・変化」への問いをつくってみよう。日本の独立回復巻末史料56サンフランシスコ平和条約(1951年)〈概要〉1.日本と各連合国間の戦争状態の終了2. 朝鮮の独立,台湾・千島列島・南樺から太ふと人物1ロシア軍のウクライナ侵攻(2022)(2022)2ゼレンスキー大統領 俳優とし 俳優としてウクライナ大統領を演じたことで国民のてウクライナ大統領を演じたことで国民の人気を得,実際の大統領に選出された。ロシ人気を得,実際の大統領に選出された。ロシアの侵攻には徹徹てっ底底てい抗抗こう戦戦せんを国民に訴えている。アの侵攻にはを国民に訴えている。ウクライナの地域別民族人口割合アプローチ1A1交通網の発達 ➡p.214,243ワットワット(英),(英),蒸気機関蒸気機関を改良を改良17691769フルトンフルトン(米),(米),蒸気船蒸気船を建造を建造18071807スティーヴンソン実用蒸気機関車を製作を製作スティーヴンソン(英),(英),実用蒸気機関車18141814ストックトン・ダーリントン間で鉄道開通(英)18251825ストックトン・ダーリントン間で鉄道開通(英)マンチェスター・リヴァプールマンチェスター・リヴァプール間で「ロケット号」18301830間で「ロケット号」による鉄道営業開始(英)①による鉄道営業開始(英)ドイツで鉄道建設ブームドイツで鉄道建設ブーム 大陸横断鉄道開通 大陸横断鉄道開通(米)(米)⑦,,スエズ運河開通2カティーサーク号 19世紀後半に蒸気船が技術改良され 19世紀後半に蒸気船が技術改良されるまで,海上輸送の主役は高速帆はん船せん(クリッパー)であった。カティーるまで,海上輸送の主役はであった。カティーサークはその最終型で,ティークリッパーとして中国茶を輸送した。サークはその最終型で,ティークリッパーとして中国茶を輸送した。B1蒸気船による移動スエズ運河開通による距離の短縮スエズ運河開通による距離の短縮319世紀のメッカ巡じゅん礼れい者しゃ 蒸気船は大量輸送を可能としたため,聖地メッため,聖地メッカに向かうムスリムカに向かうムスリムもこれを利用するよもこれを利用するようになった。彼らはうになった。彼らは蒸気船などでメッカ蒸気船などでメッカの外港ジッダに至り,の外港ジッダに至り,そこからキャラバンそこからキャラバンで聖地に向かった。で聖地に向かった。考えよう交通網の発展に伴って人々の移動がさかんになることで,交通網の発展に伴って人々の移動がさかんになることで,国際関係はどのように変化したのだろうか?国際関係はどのように変化したのだろうか?アイゼンハワー(共)(共) アイゼンハワー (任1953〜61)(任1953〜61)○日本を「アジアの要要かなめ」と位置づける○日本を「アジアの」と位置づける1953 米韓相相そう互互ご防防ぼう衛衛えい条約条約1953 米韓1954 米華相互防衛条約(台湾)1954 米華相互防衛条約(台湾)⬅p.307♴ジョンソン(民)(民) ジョンソン (任1963〜69)(任1963〜69)1965 1965 ベトナム戦争激化ニクソン(共)(共) ニクソン (任1969〜74)(任1969〜74)○ベトナム戦争などによる財政悪化○ベトナム戦争などによる1971 ニクソン大統領,訪中発表1971 ニクソン大統領,訪中発表 ドル防防ぼう衛衛えい策策さく発表発表19711971 ドルB2情報伝達の速度の変化ブラジル−イギリス間の情報伝達の日数ブラジル−イギリス間の情報伝達の日数●主な情報産業通信社通信社…AP通信(米・1848),ロイター通信(英・1851)…AP通信(米・1848),ロイター通信(英・1851)大衆新聞社大衆新聞社…サン(米・1833),デイリー=メール(英・1896)…サン(米・1833),デイリー=メール(英・1896)考えよう通信技術の進歩やマスメディアの登場により,人々に広く情報が普普ふ及及きゅうするようになった通信技術の進歩やマスメディアの登場により,人々に広く情報がするようになったことで,社会はどのように変化していったのだろうか?ことで,社会はどのように変化していったのだろうか?関 連3日ソ共同宣言の調印を伝える新聞(1956.10.20)(1956.10.20)日本は独立回復後,国連への日本は独立回復後,国連への加盟を申請したが,安保理で加盟を申請したが,ソ連が拒否権を行使したため失敗した。このため,ソ連とした。このため,ソ連との国交回復をめざす鳩鳩はと山山やま一一いち郎郎ろうの国交回復をめざす首相は,1956年自らソ連を訪首相は,1956年自らソ連を訪問してブルガーニン首相と共問してブルガーニン首相と共同宣言に調印し,まもなく日同宣言に調印し,まもなく本の国連加盟が認められた。4日韓首脳会談(1967)(1967)韓国大統領の朴朴パク正正チョン煕煕ヒは,韓国韓国大統領のは,韓国の近代化にはアメリカの軍事の近代化にはアメリカの軍事的的後後うしろ盾盾だてと日本の経済援助が必と日本の経済援助が必要と考えた。1965年の日韓基要と考えた。本条約は,韓国国内の激しい反対を押し切って朴大統領が日本の佐藤内閣と締てい結けつ。日韓。日韓両国の関係は正常化した。写両国の関係は正常化した。写真は,再選した朴大統領の就真は,再選した朴大統領の就任式の会談のようす。任式の会談のようす。5沖縄返還合意(1969)(1969)佐藤内閣の最大の政治課題は,佐藤内閣の最大の政治課題は,米の占領下にあった沖縄の施し政せい権けん返へん還かんであった。沖縄がベであった。沖縄がベトナム戦争での北北ほく爆爆ばくの拠点とトナム戦争でのの拠点となっていたことに対し,日本なっていたことに対し,日本国内では抗議運動が起きてい国内では抗議運動が起きていた。ベトナム戦争の収束を図た。ベトナム戦争の収束を図るニクソン米大統領は,1969るニクソン米大統領は,1969年の日米共同声明で,1972年年の日米共同声明で,1972年の沖縄施政権返還を約束した。の沖縄施政権返還を約束した。6日中国交正常化(1972)(1972)1972年2月の劇的なニクソン334訪中は,東アジア諸国とりわは,東アジア諸国とりわけ日本の外交政策に大きな影け日本の外交政策に大きな影響を与えた。同年7月に日本響を与えた。同年7月に日本の首相となった田た中なか角かく栄えいは9は9の首相となった1月に月に急急きゅう遽遽きょ訪中した。田中首相訪中した。田中首相とと周周しゅう恩恩おん来来らい首相による首相による日中共同.12 独立国家共同体(CIS)成立。ソ連解体.12 19911991声明により両国の国交正常化第2次戦略兵器削減条約(STARTⅡ)調印調印19931993が実現し,これにより日本とが実現し,これにより日本とチェチェン紛争(〜96)19941994(〜96)台湾との断交が決まった。台湾との断交が決まった。第2次チェチェン紛争(〜2009)19991999第2次チェチェン紛争(〜2009)東欧諸国がEU加盟20042004ルーマニア・ブルガリア,EU加盟20072007ルーマニア・ブルガリア,EU加盟7自衛隊のカンボジア南オセチアをめぐり,ロシアとジョージア20082008南オセチアをめぐり,ロシアとジョージアPKO派遣(1992)(1992) 湾岸戦争 湾岸戦争(グルジア)戦闘(グルジア)戦闘(1991)に際し,日本では国際(1991)に際し,日本では国際20122012ロシア,WTOに加盟ロシア,WTOに加盟貢献の在り方に関する議論が貢献の在り方に関する議論がソチ冬季オリンピック開催ソチ冬季オリンピック開催20142014起こり,起こり,1992年PKO協力法ががロシア,ウクライナのクリミア自治共和国成立した。同年,日本は自衛成立した。同年,日本は自衛併合を宣言隊をカンボジアPKO隊をカンボジアPKO(➡p.317)ロシア,ウクライナへ軍事侵攻ロシア,ウクライナへ軍事侵攻20222022に派遣したが,国連平和維持に派遣したが,2軍(PKF)としての参加はできず,停戦監視団などの後方支A2ウクライナの歴史援をおこなうこととなった。をおこなうこととなった。9世紀9世紀⬅p.127413861386A1B2ウクライナ西部と東部のちがいロシア人の割合0〜10〜30〜100(%, 2001年)3プーチン大統領 旧ソ旧ソ連時代はKGB(政治警察)の諜諜ちょう連時代はKGB(政治警察)の報報ほう員員いんとしてドイツに滞在,としてドイツに滞在,ベルリンの壁崩ほう壊かいを見て衝撃を受け。エリツィンの後後こう継継けい者者しゃとしてとしてた。エリツィンのロシア連邦大統領になると権権けん威威いロシア連邦大統領になると主義体制をとり,強いロシアの主義体制をとり,強いロシアの再建をめざしている。再建をめざしている。1988〜94ナゴルノ=カラバフ紛争アゼルバイジャン共和国アゼルバイジャン共和国(All-Ukrainian population census ʻ2001)1840年代1840年代18691869スエズ運河開通⑥スティーヴンソン製作ケープ岬ケープ岬スエズ運河スエズ運河航 路航 路ロンドンーボンベイロンドンーボンベイロンドンーシンガポールロンドンーシンガポールロンドンー香港ロンドンー香港*1マイル=約1.6キロメートル経由経由(マイル*))(マイル106671066711740117401318013180経由経由((マイルマイル))41%41%6274627429 29 8362836226 26 97999799(『近代国際経済要覧』)(『近代国際経済要覧』)ACP212-213.indd 212ACP212-213.indd 2121972 ニクソン訪中 米中共同声明1972 ニクソン訪中 1973 1973 ベトナム(パリ)和平協定(ベトナム1979 1979 米中国交正常化レーガン(共)(共) レーガン (任1981〜89)(任1981〜89)○新自由主義政策○新自由主義政策ブッシュ(父)(共)(共) ブッシュ(父) (任1989〜93)(任1989〜93)1989 1989 マルタ会談198919891991 1991 湾岸戦争クリントン(民)(民) クリントン (任1993〜2001)(任1993〜2001)○冷戦後の安保体制の見直し○冷戦後の安保体制の見直しブッシュ(子)(共)(共) ブッシュ(子) (任2001〜09)(任2001〜09)2003 イラク戦争2003 イラク戦争オバマ(民)(民) オバマ (任2009〜17)(任2009〜17)○中国の台頭○中国の台頭などの放ほう棄き3.沖縄・小笠原諸島などを米の施し政せい権けん下かに4.占領軍の日本からの撤てっ退たい5.連合国への賠ばい償しょうACP310-311.indd 311ACP310-311.indd 311(1828〜1905,仏)(1828〜1905,仏)5『八十日間世界一周』スエズ運河の開通(1869年)スエズ運河の開通6スエズ運河の開通(1869年)(1869年)(1869年)日米安全保障条約調印(1951年)2日米安全保障条約調印(1951年)どちらが支持されたのだろうか?Qどちらが支持されたのだろうか?蒸気機関で稼稼か動動どうするする円円えん圧圧あつ印刷機発明蒸気機関で印刷機発明モース(モールス)(米),電信機発明発明⑧モース(モールス)(米),イギリスで近代郵便制度発足(全国均一料金・イギリスで近代郵便制度発足(全国均一料金・切手制度)切手制度)輪輪りん転転てん印印いん刷刷さつ機機きの実用化の実用化蒸気印刷機の普及(出版の廉廉れん価価か化)化)蒸気印刷機の普及(出版の英仏間(ドーヴァー海峡)に海底電信ケーブル英仏間(ドーヴァー海峡)に開通。開通。ロイター通信社(英)誕生誕生⑪国際電信連合設立(20か国が参加)国際電信連合設立(20か国が参加)大西洋横断電信ケーブル開通大西洋横断電信ケーブル開通万国郵便連合発足(22か国参加)発足(22か国参加)ベル(米),(米),電話機発明発明マルコーニ(伊),(伊),無線電信実験成功実験成功日刊新聞「デイリー=メール」(英)が創刊。日刊新聞「デイリー=メール」(英)が創刊。100万部突破100万部突破年年18201820185018501851185118721872184618461840年代1840年代18511851サンフランシスコ18651865186618661875187518761876189518951896189618751875Q情報伝達の速さは,どのように変化したのだろうか?情報伝達の速さは,どのように変化したのだろうか?解説通信の発達 19世紀の欧米諸国では,「情報」と「通信」 19世紀の欧米諸国では,「情報」と「通信」は市民の生活にとって不可欠となり,関連産業が成長した。印は市民の生活にとって不可欠となり,関連産業が成長した。刷・製紙技術の改良と労働者の識しき字じ率りつ向上は,新聞の発行部数を飛ひ躍やく的てきに増大させた。また,させた。また,海底ケーブルの拡充と電信技術の向上により,世界の情報を素早く伝える通信社が設立された。が設立された。 1874年,ロンドンのチャリング・クロス駅のようす。駅構内を広告で飾飾かざる広告代理業も,る広告代理業も,この頃から始まった。鉄道の整備が進み,都会で印刷された新聞や雑誌も,翌日には地方でも読まれるようになった。この頃から始まった。鉄道の整備が進み,都会で印刷された新聞や雑誌も,翌日には地方でも読まれるようになった。E2識しき字じ率りつの推移(イギリス・フランス)D2イギリスの新聞の発行紙数2解説初等教2488(新聞100(紙数)育の整備と識字%2000率 19世紀後半, 19世紀後半,)80イギリスの教育法(1870)(1870)(➡p.232■1)など,先進資本主など,先進資本主義国では公教育が義国では公教育が整備された。この整備された。この結果,労働者も「読結果,労働者も「読み書き」ができるみ書き」ができるようになり,新聞・ようになり,新聞・雑誌の購読者が増雑誌の購読者が増えた。えた。2234198613901165イングランド601000405631900(年)(渡辺牧「近代イギリス・ジャーナリズムの発展過程」)1851186118801890187020160016501700175018001850190017世紀2023/08/24 16:112023/08/24 16:11ACP212-213.indd 213ACP212-213.indd 213朴正煕大統領➡p.315ニクソン大統領⬅p.3301年北京空港に着いた田中角栄首相➡p.312史モルドバ共和国モルドバ共和国(ロシア正教)(ロシア正教)ジョージアジョージアアルメニア共和国アルメニア共和国キエフ公国建国リトアニア=ポーランド王国成立現在のウクライナの大部分が領域下現在のウクライナの大部分が領域下16481648ウクライナのコサック勢力,ポーランドにウクライナのコサック勢力,ポーランドに反乱反乱ロシア・ポーランド間で講和2023/08/04 12:372023/08/04 12:37ロシアに協力要要よう請請せいロシアに協力16671667ドニエプル川の右岸(西部)はポーランドニエプル川の右岸(西部)はポーラン17951795ド領,左岸(東部)はロシア領となるド領,左岸(東部)はロシア領となる第3回ポーランド分割⬅p.2034ウクライナの大部分がロシア領となるウクライナの大部分がロシア領となる1853185319171917クリミア戦争(〜56)クリミア戦争(〜56)⬅p.230・231ウクライナ人民共和国樹立宣言。その後,ウクライナ人民共和国樹立宣言。その後,ボリシェヴィキに占領されるボリシェヴィキに占領されるソヴィエト連邦の構成国となる⬅p.279ソ連(フルシチョフ),クリミア半島の帰帰き属属ぞくソ連(フルシチョフ),クリミア半島のをロシアからウクライナに移移い管管かんをロシアからウクライナにチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所事故 ⬅p.330ウクライナ独立,CIS結成オレンジ革命。親欧米政権発足オレンジ革命。親欧米政権発足親ロシア政権発足親ロシア政権発足親欧米政権発足親欧米政権発足親欧米のゼレンスキー政権発足ロシア,ウクライナに軍事侵攻キーウ(キエフ)市 13.12.419221922195419542.63.61.81.23.6198619861991199120042004201020102014201420192019202220222.54.1ロシア,クリミア併合を宣言Qどのようなどのような違いが見られる違いが見られるだろうか?だろうか?加加盟盟希希望望ウクライナNNAATTOO・・EEUU支支援援米・英・独・仏プーチン大統領演説(2022年2月24日) 問題なのは,隣接する土地に…それは私たちの歴史的領土であるが,私たちに敵対的な反ロシアがつくられようとしていることだ。ACP334-335.indd 334ACP334-335.indd 334情報伝達の手段情報伝達の手段ファルマス郵便用帆船ファルマス郵便用帆船ファルマス郵便用帆船ファルマス郵便用帆船ロイヤルメール 蒸気船ロイヤルメール 蒸気船イギリスからリスボンへの電信イギリスからリスボンへの電信とリオデジャネイロへの蒸気船とリオデジャネイロへの蒸気船電信電信日数日数62.2日間62.2日間51.9日間51.9日間29.7日間29.7日間記録紙〜18日間〜18日間発信機〜1日間〜1日間電池1860年8モールス信号を用いた通信C2海底電信ケーブル網19c後半に敷設された海底電信ケーブル網1866大西洋横断ロンドン1851 ドーヴァー海峡開通陸上の電信線19世紀に各国で設立された19世紀に各国で設立された新聞社や通信社のなかで圧倒新聞社や通信社のなかで圧倒的な情報量を誇誇ほこったのは,イギ的な情報量をったのは,イギリスのロイター通信社で,ドイリスのロイター通信社で,ドイツ出身のロイターが1851年ロツ出身のロイターが1851年ロンドンに設立した。ロンドンンドンに設立した。ロンドンは,大英帝国の自治領と植民地は,大英帝国の自治領と植民地から得られた最新の情報がから得られた最新の情報が瞬瞬しゅん時時じに集まる「世界情報の中心」であった。19世紀末,に集まる「世界情報の中心」であった。19世紀末,イギリスは世界の海底通信ケーブルの約3分の2を敷ふ設せつしていた。。新聞売店10ロイター11ロイター通信社 イギリスの海底電信ケーブルによる通信網を最大限に利用して情報を入手した。1860年代には国内の新聞社に外国事情を配信し,。1860年代には国内の新聞社に外国事情を配信し,イギリス王室と政府に情報を提供することで地位をイギリス王室と政府に情報を提供することで地位を高め,世界最大の国際通信社となった。高め,世界最大の国際通信社となった。フランス*統計は成人男性のもの(年)1819Qイギリス・フランスのイギリス・フランスの識字率の推移の共通点は,識字率の推移の共通点は,何だろうか?何だろうか?1901年2023/07/22 14:222023/07/22 14:22*プロテスタントロシア正教ウクライナ正教アルメニア正教グルジア正教ローマ=カトリックプロテスタントイスラーム教CIS加盟国リトアニア共和国リトアニア共和国エストニアエストニア共和国共和国ウクライナウクライナ海ラトヴィア共和国ラトヴィア共和国ベラルーシ共和国ベラルーシ共和国カザフスタン共和国カザフスタン共和国ロ シ ア 連 邦トルクメニスタントルクメニスタンキルギス共和国キルギス共和国タジキスタン共和国タジキスタン共和国ウズベキスタンウズベキスタン共和国共和国プーチンは,従じゅう来らいからウクライナをロシアの歴史的領土と主張していた。2014年ウクライナの親ロ 。2014年ウクライナの親ロ シア政権が倒れるとクリミアを併合し,親欧米政 シア政権が倒れるとクリミアを併合し,親欧米政 権と対立。プーチンは,東部のロシア系住民の保権と対立。プーチンは,東部の護を口実とし,ゼレンスキー政権を極右・とし,ゼレンスキー政権を極右・ネオナチと断定して,2022年2月24日ロシネオナチと断定して,2022年2月24日ロシア軍をウクライナに侵攻させた。ア軍をウクライナに侵攻させた。解説交通の要よう衝しょう ロシア国家の起源とされるキエフ公 ロシア国家の起源とされるキエフ公国の地は,かつてノルマン人が開発した黒海とバルト海を結国の地は,かつてノルマン人が開発した黒海とバルト海を結ぶ通商路の要衝であることから,さまざまな国の支配を受けぶ通商路の要衝であることから,さまざまな国の支配を受けた。ウクライナ西部は農業,東部は工業がさかんで,東部はた。ウクライナ西部は農業,東部は工業がさかんで,東部はロシア系住民が多い。1930年代には農業の集団化や穀物徴発ロシア系住民が多い。1930年代には農業の集団化や穀物徴発によるによる大大だい飢飢き饉饉きんも経験し,西部はロシアに対するも経験し,西部はロシアに対する敵敵てき愾愾がい心心しんが強い。が強い。ロシアとクリミア半島 ⬅p.230・231 北国のロシアにとって,不ふ凍とう港こうの確保は勢力拡大に不 北国のロシアにとって,可欠であり,南下政策は国家的願望となっていた。特。特にクリミア半島から地中海へ抜けるルートは重要視さにクリミア半島から地中海へ抜けるルートは重要視され,近代における軍事衝衝しょう突突とつの大きな原因のひとつとなっれ,近代における軍事の大きな原因のひとつとなった。ソ連崩壊後も,ロシアはクリミアのセヴァストーポた。ソ連崩壊後も,ロシアはクリミアのセヴァストーポリ港にロシア艦艦かん隊隊たいをを碇碇てい泊泊はくさせ,ロシア系住民が多く住んリ港にロシアさせ,ロシア系住民が多く住んだ。2014年,ロシアはクリミアを併併へい合合ごう。。だ。2014年,ロシアはクリミアを5.05.03.86.05.49.47.225.639.020.77.514.117.614.138.2ドネツク州24.7クリミア自治共和国 58.3セヴァストーポリ市71.6侵攻侵攻⬅p.308地(2023年7月)加加盟盟をを阻阻止止ししよよううととすするるののだだろろううかか??抗戦抗戦ロシアNNAATTOO不不拡拡大大要要求求経経済済制制裁裁500㎞ロシアベラルーシウクライナ2023/07/22 14:372023/07/22 14:37(玉木俊明『ヨーロッパ 繁栄の19世紀史』)(玉木俊明『ヨーロッパ 繁栄の19世紀史』)ふせつボンベイ上海長崎1871シンガポールケープタウン(朝日新聞社『世界の歴史 114』など)(ストーン=L『エリートの攻防』)5001000㎞ロシア飛地*ロシア飛地1994〜チェチェン紛争(『世界年鑑』共同通信社など)親親ロロシシアアをを置置くく欧欧米米とと距距離離黒 海『八十日間世界一周』のルート19世紀後半のイギリス領Qアジアでの寄アジアでの寄港地は,どのよう港地は,どのような場所が多いのだな場所が多いのだろうか?ろうか?南アメリカニューヨーク北アメリカロンドン(出発・帰着)アフリカスエズアデンボンベイカルカッタ解説18世紀まで旅行は貴族の特18世紀まで旅行は貴族の特権で,数年間かけて外国をめぐるの権で,数年間かけて外国をめぐるのがが常常つねであった。岩倉使節団であった。岩倉使節団(➡p.263コ)が2年がかりで世界を見見けん聞聞ぶんしたこのしたこのが2年がかりで世界をような時代に,ヴェルヌは1873年,ような時代に,ヴェルヌは1873年,冒険小冒険小説『八十日間世界一周』を発表説『八十日間世界一周』を発表した。この背景には,各地の交通網した。このの発達があった。また,トマス=クッ。また,トマス=クック(英)が1841年に格安パック旅行をク(英)が1841年に格安パック旅行を始めるなど,旅行業者も現れた。始めるなど,旅行業者も現れた。香港上海横浜シンガポールオーストラリア短縮率短縮率1899年アメリカ ➡p.324・325トルーマン(民)(民) トルーマン (任1945〜53)(任1945〜53)1945 1945 第二次世界大戦終結1950 1950 朝鮮戦争(〜53)(〜53)p.299■3年日 本1945 連合国軍による占領 民主化改革1945 連合国軍による占領 民主化改革 吉よし田だ茂しげる②~⑤ (任1948〜54)(任1948〜54)1950 1950 警警けい察察さつ予予よ備備び隊隊たい設置設置⬅p.3071951 1951 サンフランシスコ平和条約●① 日米安全保障条約●②1952 韓国と国交樹立交渉開始1952 韓国と国交樹立交渉開始 日華平和条約(台湾) 日華平和条約(台湾)1954 1954 自自じ衛衛えい隊隊たい発足発足1956 1956 日ソ共同宣言③ 国際連合加盟 岸きし信のぶ介すけ (任1957〜60)(任1957〜60)1960 日米新安全保障条約1960 日米新安全保障条約 佐さ藤とう栄えい作さく (任1964〜72)(任1964〜72)1965 1965 日韓基本条約●④1968 1968 小小お笠笠がさ原原わら諸島復帰諸島復帰1971 沖縄返還協定調印(72 沖縄復帰)●⑤1971 沖縄返還協定調印(72 第二次世界大戦終結米ソ冷戦開始米ソ冷戦開始(「朝日新聞」1956年10月20日)ドル=ショック ➡p.337 田た中なか角かく栄えい (任1972〜74)(任1972〜74)1972 1972 日中国交正常化●⑥ 台湾と断交 台湾と断交1973 1973 変変へん動動どう相相そう場場ば制制せいに移行に移行1978 1978 日中平和友好条約 中なか曽そ根ね康やす弘ひろ (任1982〜87)(任1982〜87)1985 JT・NTT発足(87 JR発足)1985 JT・NTT発足(87 JR発足) プラザ合意 プラザ合意(ベトナム撤撤てっ退退たい))佐藤栄作首相(自衛隊の海外派遣可能に)⑦1992 1992 PKO協力法(自衛隊の海外派遣可能に) 橋はし本もと龍りゅう太た郎ろう (任1996〜98)(任1996〜98)1996 日米安保共同宣言1996 日米安保共同宣言 小こ泉いずみ純じゅん一いち郎ろう (任2001〜06)(任2001〜06)2004 自衛隊をイラクへ派遣2004 自衛隊をイラクへ派遣 安あ倍べ晋しん三ぞう②~④ (任2012〜20)(任2012〜20)2015 日米ガイドラインの改定2015 日米ガイドラインの改定冷 戦 終 結 ➡p.332佐藤栄作首相日本首席全権吉田茂周恩来首相➡p.312写ダレス駐日米大使カンボジアでの道路修復(1992年)吉田茂首相国際連合*「朝日新聞」1950年11月15日1869 大陸横断鉄道開通1869 スエズ運河開通1870 ボンベイ−カルカッタ間に鉄道完成 1858 日米修好通商条約で開港(高野優訳『八十日間世界一周』)(高野優訳『八十日間世界一周』)212諸地域の結びつき・変化への問い人々の国際的な移動戦後の日米関係史諸外国との関係回復冷戦後の日本と国際貢献『八十日間世界一周』とつながる世界『八十日間世界一周』 ➡p.248■1表Aスエズ運河➡p.254コ スエズの港は大勢の人人でごった返していた。港で働く現地の人々もいれば,船旅をする外国人たちもいる。これはひと昔前だったら,考えられないようなにぎわいだった。……イギリスからインドに行くのには,これまでのように大西洋を南下して,アフリカの喜き望ぼう峰ほうを回っていくよりも,こちらの航路のほうが,はるかに時間と距離を短縮できた。Bアメリカ➡p.242 ニューヨークを出発してサンフランシスコに行こうと思った場合,以前はオマハから先の険けわしい道を駅馬車で行かなければならなかったために,少なくとも半年はかかっていた。だが,オマハから先も鉄道で結ばれれば,その時間は大幅に短縮される。実際,大陸横断鉄道が完成したことによって,今ではニューヨークからサンフランシスコまでの3786マイルの距離をわずか7日で行けるようになっているのだ。7大陸横断鉄道の建設大陸横断鉄道の建設大陸横断鉄道の建設Cインド➡p.257 イギリスからの文明が入ってきたことによって,インドは様さま変がわりした。……実際,昔はインドを旅行しようと思えば,徒と歩ほか馬,輿こし,そうでなければ人の背中におぶさるか,せいぜい二輪や四輪の馬車に頼るしかなかった。だが,今はインダス川やガンジス川などの大河には蒸気船が高速で走り,鉄道も半島のあらゆる場所に縦じゅう横おう無む尽じんに張りめぐらされている。テーマ戦後戦後のの日本外交史講和への日本国内意見アメリカ側だけとの講和。世論調査アメリカ側だけとの講和。世論調査単独講和では45.6%が支持*では45.6%が支持ソ連・中華人民共和国などを含む全ソ連・中華人民共和国などを含む全全面講和交戦国との講和。21.4%が支持*交戦国との講和。21.4%が支持マスメディアの発達冷戦後のロシアと東欧ウクライナ情勢ロイター(1816〜1899) ヨーロッパのNATO加盟国 冷戦中のNATO加盟国 冷戦後のNATO加盟国 NATO加盟申請国日本外交史311213「大交易時代」p.170-171「綿貿易と近代世界」p.211「近代世界システムの形成」p.217「女性の権利」p.246-247「経済のグローバル化と格差①・②」Point ❶「人々の国際的な移動」など,多様な視点から資料を提示Point ❷資料を読み取って考察し,疑問点(問い)を表現「諸地域の歴史的特色」p.60-61「諸地域の交流」p.140「諸地域の結びつき・変化」p.212-213p.336〜339現代の諸課題を考える「現代ロシアの動向と ウクライナ情勢」 p.334「世界の民族問題」 p.335「環境問題と人類」 p.342「世界史と感染症」 p.343日本史・歴史総合との接続「日本の開国と国民国家の形成」p.262-263「「満洲国」と日本」p.296 「戦後の日本外交史」p.311各ページの見どころは本パンフレットp.6-7をご覧ください。 「問いを表現する」活動 新学習指導要領に対応諸資料を活用し,学習課題(問い)を表現 テーマ史・地域史が充実!新学習指導要領・大学入試を分析。テーマページで学びがさらに深まります注目テーマ・地域史「古代文明の形成」p.12-13 「仏教交流史」p.101地域史「東欧・スラヴ人の歴史①・②」p.126-127,272-273
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