〒466-8691名古屋市昭和区阿由知通2-1-1(052)733-8040〈代〉振替/ 00870-6-59238ワディ川イラネパールガンジス川インダス川シル西突厥アラルアムプラス浜島書店(2024年春予定)・「アカデミア世界史」の一括ご採用でご利用いただけ・「浜島Webサポート」は登録が必要です。登録方法期 (専制君主政・ドミナトゥス)渤安東新羅新羅前53カルラエの戦いクラッスス戦死メソポタミアナイル東ゴートナウ川地(前146)前264の領土(第1回ポエニ戦争開始時)前146までの獲得地(カルタゴの崩壊まで)紀元後14までの獲得地(アウグストゥスの死まで)紀元後96までの獲得地(五賢帝時代直前まで)ローマ帝国の最大版図(トラヤヌス帝 在位98〜117)ディオクレティアヌス帝(在位284〜305)の四帝分治境界線テオドシウス帝没後の分割線(395)2024年度最新見本第2回ポエニ戦争以後 期リローマローマ海カンネーカンネー長い歯動揺・衰退期(「3世紀の危機」)最盛 帝政 前 首 帝 政 後 20アドダルマリテアクムア西ゴートド↓グリス川海中川紅海3共和政期帝0海川バ黄河川海使湾0太平洋 分裂・解体期政・プリンキパトゥス)結果地中海ローマの国家体制は,どのように変化していったのだろうか?ローマ帝国防衛の最前線 ハドリアヌスは,最大領域を実現した先帝トラヤヌスの征服地をほとんど放ほう棄きし,国境の防衛に努めた。イングランドの国境に長城を築き,ケルンやドナウ川流域のウィーン・ブダペストは辺境の拠点であった。彼は兵士を現地で採用したため,軍団と駐屯地住民の結びつきが強まり,外敵が迫る辺境地域では,住民や兵士は自分たちの信頼する軍人を皇帝に推すい挙きょし,軍人皇帝時代(235〜284)を迎えることになった。744建国744建国ルハシ湖と ばんと ばん114アプローチアプローチ123AC_099A.pdf 1 2022/07/12 15:50アッバース朝唐の最大勢力範囲(7世紀)8世紀後半の唐の領域唐の6都護府 赤数字は設置年次唐の十節度使節度使の治所所在地遣唐使・渤海使の行路ローマ帝国の推移カルルク砕葉城 砕葉城 庭州(ビシュバリク)(北庭)702 伊州(ハミ)沙州(クチャ)亀茲安西(ホータン)タシュケント西突厥西突厥583〜657(安西)648 疏勒(カシュガル)(スーイヤプ)(スーイヤプ)(河西)ソグド640640(敦煌)タングート党項タングート党項パミール于闐(隴右)鄯州カシミールカシミール成都府(剣南)大和城南詔南詔7世紀建国ピューピュー(驃)(驃)5001000㎞「すべての道はローマに通ず」618〜907ローマ帝国の発展ローマ帝国滅亡の原因キタイ(契丹)676676幽州(北京)幽州(北京)(范陽)登州営州(平盧)668668北路白村江白村江 慶州(金城)汴州(開封)洛陽揚州揚州(河東)河東河東長安長江南路坊津杭州越州明州明州▲天台山福州流求泉州広州(嶺南)交州安南679チャンパーチャンパー(環王)(環王)期 (元アウグストゥス(位前27〜後14)○プリンケプス(元げん首しゅ)として「ローマの 平和」(パクス=ロマーナ)を実現○ラテン文学の黄金時代後9トイトブルク森の戦いでローマ軍が ゲルマン人に惨ざん敗ぱい30頃 イエス刑死p.112■■年p.123年1アウグストゥスローマ帝国初代皇帝。アウグストゥスはラテン語で「尊そん厳げん者しゃ」。神聖な称号を象徴するキューピッドがいる。ネロ帝(位54〜68)3ハドリアヌスの長城(イギリス)イングランドとスコットランドの国境近くに,118㎞に及ぶ石の堡ほう塁るいが築かれ,守備兵が配置された。A1元首政と専制君主政の比較世界遺産期(「ローマの平和」)➡p.118五賢帝時代(96〜180)ネルウァ (位96〜98) 元老院議員の互ご選せんによる皇帝トラヤヌス (位98〜117)●⑧ ダキア征服 帝国領最大に インドとの季節風貿易活発ハドリアヌス (位117〜138) イングランド北部に城壁構築 征服政策廃止アントニヌス■ピウス (位138〜161) マルクス■アウレリウス■アントニヌス (位161〜180) ストア派の哲人皇帝。「大たい秦しん王安あん敦とん」(⬅p.21コ)とされる元首政(プリンキパトゥス)専制君主政(ドミナトゥス)アウグストゥス「プリンケプス(元首,市民の第一人者)による統治」創始者ディオクレティアヌス高さ約4.5m,幅2.5〜3m意味 ・由来「ドミヌス(主人)による支配」(皇帝が臣下から奴隷が主人を呼ぶようにドミヌスと呼ばれたことに由来)期間後284〜610(ビザンツ帝国時代)前27〜後284●元老院など共和政の制度尊重●実質はプリンケプスが権力を掌しょう握あく する皇帝独裁解説政体の移行 元首政は共和政の伝統とローマ市民の自由を保持した上での皇4四皇帝像カラカラ帝(位198〜217)2マルクス=アウレリウス=アントニヌス内容●元老院の役割低下●ペルシア風の儀礼・皇帝崇拝・官 僚整備(東方的専制君主)帝による独裁体制。重要な公職には元老院議員が任命されて元首を補佐した。この体制が,外敵の侵入,内乱,帝国の経済的分立の中で,元老院議員が行政・軍事から排除され,皇帝が軍事的官僚組織を統制し市民的自由を否定する専制君主政へと変化した。軍人皇帝時代(位284〜305)四分統治293 帝国四帝分ぶん治ち制(テトラルキア)採用(2人の正せい帝ていと2人の副ふく帝ていを置く)④ 東方的専制君主政(ドミナトゥス)を行うA1 ○東洋風宮廷様式の導入303 最後のキリスト教徒大迫害(宮廷内教徒の処刑・追放,教会封鎖)コンスタンティヌス帝(副帝位306〜,正帝位324〜337)⑤ディオクレティアヌス帝(位284〜305)Q皇帝はどのような存在として位置づけられたのだろうか?テオドシウス帝解説皇帝崇拝と帝国分割 皇帝崇拝を強制し,皇帝権けん威いを神聖化した。東方の外敵と地方の分権化に対応するため,統治の重心を東方に移動,都みやこを小アジアのニコメディアに移し帝国を4分割した。コンスタンティヌス帝(正帝位324〜337)●ローマ帝国は地中海周辺の全域を支配し,オリエント文明・ギリシア文明・ヨーロッ パ土着文化を吸収,発展させた。●法律・暦・土木・建築・ラテン語・ローマ字など古代ローマ文化はキリスト教ととも に,ヨーロッパ文明の源流となった。帝国の統一のためにキリスト教を公認し官僚制を整備した。彼が発行したソリドゥス金貨は高純度で信頼性が高く,11世紀まで地中海世界で流通した。5コンスタンティヌス帝Qローマによる支配のどのような側面がわかるだろうか?―タキトゥスの歴史記述―6ソリドゥス金貨世界遺産7コンスタンティヌス帝の凱がい旋せん門もん コンスタンティヌス帝が315年,西の正帝マクセンティウスに勝った記念として建てた。皇帝は,この頃からキリスト教に帰き依えし313年ミラノ勅令を発布した。 高さ21m,幅26m解説統治の実態 属州統治は総督と徴税請負人に委ゆだねられ搾さく取しゅが行われた。共和政を重んじたタキトゥスはこのような皇帝支配を批判した。ウ ト ケンウ ト ケン鬱督軍山(都斤山)鬱督軍山(都斤山)▲タリム川と よくこん吐谷渾8トラヤヌス帝 ダキアなどへ大規模な遠征を何度も行い,その過程で多くの植民市の建設を行った。写真は「トラヤヌス帝記念柱」(ローマ)の一場面。p.122■■地p.125■■地ハドリアヌスの長城トラヤヌス帝宿営地を建設するローマ兵スカンディアスカンディアブリタニアブリタニアダキア人捕虜 (ケルン) (ケルン)ゲルマニアゲルマニアウィンドボナ(ウィーン)ガリアガリア(前51)ルグドゥヌム (リヨン)メディオラヌムメディオラヌムヴェネツィアサルマティアヒスパニアヒスパニア(ミラノ)(ミラノ)イタリアボスフォラス王国ボスフォラス王国 ビザンティウム ビザンティウム (コンスタンティノープル) (コンスタンティノープル)カルタゴ■ノウァカルタゴ■ノウァ(カルタヘナ)(カルタヘナ)カエサレアニコメディアニケーアタレントゥム(前272)ザマヒエロソリマ(イェルサレム)ヒエロソリマ(イェルサレム)各分国の首都カエサルの遠征アウグストゥスの遠征ローマの長城主要戦場(数字)ローマの獲得した年代ラティフンディア⬅p.113コ 時期:第2回ポエニ戦争以降経営:大土地所有者(騎士・元老院 議員)が直接経営労働力:奴隷(戦争捕虜)おもな作物:果樹(ブドウ,オリーブ)中小土地所有農民(重装歩兵)の没落「ローマの平和」により奴隷供給が途絶えるコロナトゥス時期:軍人皇帝時代以降経営:小作人に土地を貸し出す労働力:没落した自由農民・解放奴隷おもな作物:穀物➡p.122■ ■非能率による生産停滞傭兵制ようへい9アッピア街道 前312年建設のローマ最古の軍道。ローマから南イタリアのブルンディシウムまで570㎞に及ぶ。ローマは支配地の拡大とともに街道を延伸させていき,総延長は8万 5000㎞にも達した。軍隊の経費増大都市への重税軍人の横暴治安の乱れ軍隊の質低下ローマカルタゴブリタニア 政ガリアダキア10走行距離計車輪が400回転で,1ローマ■マイル(約1.5km)。多くの穴の中に小石が入っている。400回転するたびに歯が横に動いて,小石が一つシュートに落ちる。文化の衰退・自然経済・地方分権自給自足的大所領の独立化中世の封建制の萌芽ゲルマン人の侵入商業の衰退車輪小石を受ける金属ボウルQ土地経営のあり方はどのように変わったのだろうか?歯が一つの歯車399の短い歯と,一つの長い歯を持った歯車11マイル■ストン 1ローマ■マイルごとに建てられた。解説大きくなり過ぎた帝国 軍事面では,中小農民が没落し,傭兵制を採用したことで軍事力が低下した。経済面では,軍事費の増大による都市への重税が,都市の没落,商業の衰退をもたらした。さらにコロナトゥスの発達は地方分離を促進し,帝国滅亡へと導いた。探究しよう広大な領域を支配したローマ帝国が衰退に転じた要因はどのような点にあったのだろうか?ぼっかいりくしんろう陸真臘陸真臘りくしんろうドヴァーラヴァティー王国ドヴァーラヴァティー王国すいしんろう水真臘すいしんろう水真臘200400㎞カレドニア(142〜197)ヒベルニアエブラクムエブラクム (ヨーク) (ヨーク)ゲルマニア海スエビ海ゴート(43)ロンディニウム(ロンドン) ライン川アル(前12〜9)トイトブルク森ビス(エルコロニア■アグリッピナコロニア■アグリッピナベ)川ルグドネンシスベルギカルテティアルテティア(パリ)(パリ) アウグスタ■トレヴェロールム アウグスタ■トレヴェロールム(トリール)(トリーア)ラエティアカンタブリア海ブルディガラ (ボルドー)ノリクムパンノニアフン人260皇帝ウァレリアヌス,シャープール1世に敗れ捕虜となるルシタニアバレンシアアキタニアタラコネンシスオリシポ(リスボン)トロサ (トゥールーズ )タラコナルボ マッシリア(マルセイユ)ジェノヴァジェノヴァシルミウムイリィコルシカ(106)ダキアダキアヘラクレア黒 海シノペピティウストラペザスポントゥスアルメニアメディアパルティアササン朝ペルシア(224〜)クテシフォンクテシフォンセレウキアセレウキアバビロンモエシアハドリアノポリストラキアムンダパルマバレアレス諸島サルデーニャネアポリスネアポリス(ナポリ)(ナポリ)ガデスマラガマウレタニア前146カルタゴ滅亡ヌミディアシチリア(前241)メッシナシラクサマルタカッパドキアカッパドキアエデッサティユーフラテス川シリア(前64)アンティオキアフェニキアティルスパルミラパルミラ(273)キリキアヒリッピヒリッピガラティア(前133)ペルガモンアシアエフェソスアテネアテネマケドニア(前146)ピュドナファルサロスコリントススパルタスパルタロードスタプソスタプソス前31アクティウムの海戦レプティス■マグナレプティス■マグナアフリカバビロニアバビロニア(115〜117)ダマスクスダマスクスキプロスパレスチナ(70)クノッソスクレタキレネキレナイカアレクサンドリア(前48〜前47)アラビアメンフィスエジプト(前30)(『週刊朝日百科 世界の歴史』)シリア→ローマ(3100D)最速で36日かかった(後■年)。ロンディニウム(ロンドン)ルテティア(パリ)ぼつらく都市の没落ゼゴビアヒスパニア500㎞(藤原武『ローマの道の物語』)小石の落ちる穴とシュートダマスクスイェルサレムブルンディシウムアレクサンドリアアッピア街道ほうが751タラス河畔の戦い製紙法の西伝サマルカンド(安西)64 キリスト教徒迫はく害がいキューピッド79 ウェスウィウス山の爆発,ポンペイ埋まい没ぼつ ➡p.117プリニウス死80 コロッセウム(円形闘技場)の完成➡p.116写212 アントニヌス法(帝国の全自由人にローマ市民権賦ふ与よ)216 カラカラ浴場の完成➡p.116写(235〜284)この間に26人の皇帝が廃はい立りつされるディオクレティアヌス帝313 ミラノ勅ちょく令れい キリスト教公認325 ニケーア公会議(アタナシウス派を正統とする)➡p.191■■●B330 ビザンティウムへ遷せん都とし,コンスタンティノープルと改称➡p.73332 コロヌスの身分規定(土地定着強制法)375 ゲルマン人の大移動の開始➡p.122(位379〜395)392 キリスト教国教化(異教禁止)395 ローマ帝国,東西に分裂➡p.125■■476 西ローマ帝国滅亡(ゲルマン人傭よう兵へい隊長オドアケルが最後の皇帝を廃位)史料ローマの平和? (ブリタニア人は)ローマの雄弁術を熱心に学び始めた。…そして次第に横道にそれだし…浴場,優雅な饗きょう宴えんにふけった。これを,何も知らない原住民は,文明開化と呼んでいたが,じつは,奴隷化を示す一つの特色でしかなかった。 (ブリタニア人の指導者の言葉)「…ローマ人は破壊と,殺さつ戮りくと,掠りゃく奪だつを,偽って『支配』と呼び,荒こう涼りょうたる世界を作りあげたとき,それをごまかして『平和』と名づける」 (タキトゥス『アグリコラ』筑摩書房)115渤海ぼっかい渤海698建国じょうけ いりゅうせ ん ふ上京竜泉府安東日本日本大宰府南シナ海ローマ帝国ISBN978-4-8343-2026-8 C7022 ¥900E16ISBN978-4-8343-2026-8 C7022 900Eヴェネツィア定価990円(本体900円+税)表紙写真 「アドリア海の女王」「水の都」と称えられたヴェネツィアの歴史は,アジアとヨーロッパとの橋渡しの歴史でもある。10世紀後半からはイスラーム諸国とも交易を拡大,13世紀にはモンゴル帝国のネットワークとも接続し,『世界の記述』(『東方見聞録』)で有名なマルコ=ポーロは元へ赴き,「ヴェニスの商人」は胡椒や絹などの東方貿易の商品をヨーロッパへもたらした。カーニバルやゴンドラによるレガッタの祭りもさかんで,中世海洋国家ヴェネツィアの繁栄ぶりが再現される。● 定価● ページ数 400p+折表● 発行所 株式会社浜島書店たたしょうこ以下のご採用も可能です本誌+デジタル版◉この教材は,カラーユニバーサルデザイン に配慮しながら編集してあります。663663◉見やすく読みまちがえにくいぜん う単于雲州 ユニバーサルデザインフォント を採用しています。(有料)①・②は「浜島Webサポート」で提供いたします。ます。は,ご採用本付属のご案内をご覧ください。・①Web誌面のご利用にはインターネットへの接続が必要です。 ②はダウンロード時に必要です。・Web誌面や図版データは現在開発中のため,完成版とはイメージが異なる場合がございます。唐唐サン=マルコ大聖堂 9世紀に建立されたヴェネツィアを代表するビザンツ建築の大聖堂で,正面テラスには第4回十字軍でコンスタンティノープルからもたらされた4頭の騎馬像が置かれている。安北ウイグル(回紇)663カラバルガスンカラバルガスン東突厥630唐に服属682独立〜744北庭安北670670涼州(朔方)霊州安西吐蕃吐蕃7世紀建国ラサベンガル湾サンプルはこちら※開発中の画面のため,完成版とはイメージが異なる場合がございます。初版発行2009年10月5日改訂版発行2022年10月5日2023年10月5日 印刷・発行編著者/ 浜島書店編集部発行者/ 株式会社浜島書店 代表者 浜島拓央発行所/ 株式会社浜島書店デジタル版のみ iPadやWindows, Macに対応ラインナップオリエント世界の変遷/秦〜漢代の中国/ヘレニズム諸国の変遷ローマ帝国の発展/ゲルマン人の大移動2024年度新規作成(予定)隋〜唐時代の中国/イスラーム帝国の発展/アメリカ合衆国の発展※作成予定は変更になる場合がございます。❶指導用Web誌面 (無料)❷本誌地図データ(無料)動画・拡大写真も多数収録!990円(税込)1430円(税込)990円(税込)1430円(税込)990円(税込)授業スライドや学習者用プリント作成にデジタル版資料集※専用チラシをご覧ください資料集掲載の地ご採用パターン本誌のみ図を,同じ体裁・本誌+デジタル版カラーで画像化デジタル版のみツールバーで誌面への書き込みができます。世紀別地図と本文の行き来が簡単にできます。学習者用デジタル版資料集(有料)「動く世界史MAP」はタブレットからもご覧いただけます。詳細は,■学習者用デジタル版資料集■の専用チラシをご覧ください。アカデミア世界史アカデミア世界史990円(本体900円+税)アアカカデデミミアア世世界界史史『アカデミア世界史』は ICT活用も凄い!動く世界史MAP
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