アメリカ・アジアへプラススペイン日本東アジアムスリム商人商業圏ヴィジャヤナガル王国ポルトガル南・東南アジア西アジアタリア商人商業圏スペインポルトガルヨーロッパ明清胡こ椒しょうシナモンクローヴナツメグ※1キンタル(50.8㎏)当たり(1506年 リスボン)※K.S.マーシュ『16世紀のポルトガルのインド貿易』(1983)による*単位:クルサード(ポルトガル貨幣) (『週刊朝日百科 世界の歴史67』朝日新聞社)(『週刊朝日百科 世界の歴史67』朝日新聞社)元イ明明明太平 洋 Qユーラシアではどのような海上交易が行われてきたのだろうか?ユーラシアではどのような海上交易が行われてきたのだろうか?1絹織物 中国は 中国は古来より生糸・絹織物古来より生糸・絹織物を輸出してきたが,明を輸出してきたが,明代に代に蘇蘇そ州州しゅうやや杭杭こう州州しゅうで生産で生産されたされた豪豪ごう華華か華華か麗麗れいなな金金きん襴襴らんやや緞緞どん子子すは国内だけでなは国内だけでなく朝貢の返礼品としてく朝貢の返礼品として輸出された。輸出された。⬅p.8⬅p.138,141,144,161⬅p.81,138,144,163⬅p.154北米へ⬅p.43コ,162黄河長江B115世紀C116世紀D117世紀前半E1中国産の国際商品イタリア商人商業圏オスマン帝国オスマン帝国オスマン帝国ヨーロッパの進出オランダモンゴル帝国マラッカ王国中国商人商業圏 日本(鎌倉時代)■和の遠征 日本(安土・ 桃山時代) 日本(江戸時代)朱印船オランダの進出解説13・14世紀解説15世紀朝朝ちょう貢貢こう体制を敷いた明で体制を敷いた明では,永楽帝がムスリムは,永楽帝がムスリムのの宦宦かん官官がん■■てい和和わを東南アジを東南アジア・インド洋へ派遣してア・インド洋へ派遣して朝貢を促した結果,多朝貢を促した結果,多くの南海諸国が朝貢しくの南海諸国が朝貢した。遠征の拠点となった。遠征の拠点となったたマラッカ王国,,また琉球王国は中継貿易の拠点として繁はん栄えいし,南,南インドで台頭したヴィインドで台頭したジャヤナガル王国は多くの港市を支配した。。解説16世紀解説17世紀朝鮮(李朝)漢城琉球日本モンゴル帝国のもとで,ユーラシア規模の陸上交易網と海上交易網が結合した。東シナ海か東シナ海からインドまでは中国のらインドまでは中国のジャンク船が,インドジャンク船が,インドからアラビア海・エジからアラビア海・エジプトまではダウ船が,プトまではダウ船が,地中海ではイタリア商地中海ではイタリア商人の船が商品を運んだ。人の船が商品を運んだ。マルコ=ポーロやイブマルコ=ポーロやイブン=バットゥータがこン=バットゥータがこの交易路を利用した。の交易路を利用した。日本(室町時代)倭寇琉球王国インド航路を開拓したインド航路を開拓したポルトガルが,アジア内交易網に参入し,ゴし,ゴアを拠点とした香辛料アを拠点とした香辛料貿易,中国のマカオを貿易,中国のマカオを拠点とした中国・日本拠点としたとの生糸貿易で利益をで利益を上げた。東シナ海・南上げた。東シナ海・南シナ海では後期倭わ寇こうががシナ海では交易の一端を担い,ス交易の一端を担い,スペインによるメキシコペインによるメキシコ銀や日本銀も流入して銀や日本銀も流入して(⬅p.168)活況を活況を呈呈ていした。した。独立を遂げたオランダ独立を遂げたが,スペイン・ポルトが,スペイン・ポルトガルに代わってアジアガルに代わって貿易に参入し,ジャワし,ジャワ島のバタヴィアを拠点島のバタヴィアを拠点にに香辛料貿易で利益を上げるとともに,台湾とともに,台湾を拠点に中国,日本とを拠点に中国,日本との中継交易で繁栄した。の中継交易で繁栄した。徳川幕府は,朱しゅ印いん船せん貿徳川幕府は,易を行い,東南アジアを行い,東南アジアで中国産の生糸や絹織で中国産の生糸や絹織物を獲得した。物を獲得した。(実物大)(実物大)杭州寧波泉州広州2陶磁器 中国の白磁と 中国の白磁とイランのコバルト顔料によるイランのコバルト顔料による絵付けの技術が結びついて染染そめ絵付けの技術が結びついて付付つけが誕生した。が誕生した。景景けい徳徳とく鎮鎮ちんでは,では,染付(染付(青青せい花花か)や)や赤赤あか絵絵え((五五ご彩彩さい)と)といった磁器が輸出用に大量生いった磁器が輸出用に大量生産され,イスラーム諸国や産され,イスラーム諸国やヨーロッパ,日本に運ばれた。ヨーロッパ,日本に運ばれた。 261.84 261.84 279.94 279.94 467.11〜514.37 467.11〜514.374137.294137.29 22 22 25 25 60〜65 60〜65300300異異ななるるののだだろろううかか??購入価格(船賃含む)*販売価格* 6.08 6.08 6.58 6.5810.5810.58 7.08 7.08辛料が使われた。香辛料はインドや東南アジアなど熱帯が原産地で,辛料が使われた。香辛料はインドや東南アジアなど熱帯が原産地で,ムスリム商人などを経由して輸入したため,高価であった。特にナツ。特にナツメグは,インドネシアのマルク諸島が唯一の供給源で,希少であった。メグは,インドネシアのマルク諸島が唯一の供給源で,希少であった。が行った日宋貿易(⬅p.39コ),鎌倉時代に行われた日元貿易,鎌倉時代に行われた日元貿易(⬅p.43コ),,南南なん蛮蛮ばん貿易貿易(⬅p.47コ)などがある。などがある。Q活活動動地地域域ははどどののよよううにに北京南京元代の染付高さ約30㎝3銅銭 中国では,紙幣や銀が通貨 中国では,紙幣や銀が通貨として流通したため,銅銭が余り,近隣として流通したため,銅銭が余り,近隣諸国に輸出された。写真の永永えい楽楽らく通通つう宝宝ほうなどなど諸国に輸出された。写真の中国の銅銭は信頼度が高く,日本へは日中国の銅銭は信頼度が高く,日本へは日明貿易や明貿易や倭倭わ寇寇こうによって輸入され,流通した。によって輸入され,流通した。F1南・東南アジア産の国際商品⬅p.80コ,144➡p.180・181利益率(%)平戸(『日本歴史地図』全教図など)前期倭寇(14世紀)の侵略地後期倭寇(16世紀)の侵略地倭寇の根拠地⬅p.168,➡p.180・181➡p.180・181,217ムスリム商人商業圏(ダウ船)中国商人商業圏(ジャンク船)(明代の絹織物)解説香辛料の利益 ヨーロッパでは肉の味付けや薬として香 ヨーロッパでは肉の味付けや薬として香12テーマ大交易時代ユーラシアの海上交易倭寇の活動国・政府による貿易と民間・個人による貿易として,中国の朝朝ちょう貢貢こう貿易がある。 政府が管理・統制する貿易として,中国の貿易がある。日本においては邪邪や馬馬ま台台たい国国こくによるによる魏魏ぎへのへの朝朝ちょう貢貢こう(⬅p.23コ,96),,遣遣けん隋隋ずい使使しやや日本においては遣遣けん唐唐とう使使しによる貿易,室町時代の勘勘かん合合ごう貿易貿易(⬅p.162),,朱朱しゅ印印いんによる貿易(⬅p.33コ,98),室町時代の船船せん貿易貿易(⬅p.49コ)などがある。またなどがある。また民間や個人による貿易として,として,平平へい氏氏しが行った日宋貿易,室町時代の倭倭わ寇寇こう(⬅p.41コ),室町時代の前期倭寇の進路後期倭寇の進路1701A113・14世紀
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