1. 序 金文・・書と染めのハーモニー展に寄せて


 金文(きんぶん)−それは秦の始皇帝( 200 B.C.)を更に遡り、春秋戦国よりもっと前の殷、周の時代(1500-700 B.C.)に青銅器に鋳刻された銘文のことをいいます。器の外側には文様そして内側にその器を作った曰く、いきさつなどを記した文字が鋳刻されています。

 遣隋使、遣唐使によって日本に文字が持たらされた時には、すでに文字は 篆、隷、草、行、楷のすべての書体を整えており、更に日本人は「かな」を生み出し、中国、日本両国はこれらすべての書体を網羅した多くの能書家を輩出してきました。

 しかし青銅器は長く土中に埋もれ、人々はその存在を全く知りませんでした。宋代(1000 A.D.) にその出土の記述があるということですが、本格的に発掘されたのは清朝後期(1900 A.D.) のことで、金石学の発達に伴って学問的に解読されるようになったのは、つい近代のことです。私にとって、この素晴らしい文化遺産である青銅器の文字を、直接見られる時代に生を受けたことは正にラッキーというべきでしょう。冷たく硬い青銅器に鋳込まれた線を、柔らかい筆でどう表現するか? − これはこれからの書家に課せられた大きな課題でしょう。

 現在日本ではその線を行草体と同じ筆法で書いたり、逆筆で表現したりしますが、私は思い立って北京に飛びました。ちょうど天安門事件が起こり、予定の1年が半年になりましたが、古代文字の権威、康殷先生にお会いし、親しくその指導を受けられたのは、これまた本当にラッキーでした。先生は「まだまだ未熟、一緒に勉強しましょう」といいながらも、長年の苦心の運筆を一度だけ私の眼前で見せて下さいました。まさに気功の技ともいうべき究極の遅筆でした。

 以来、先生の重厚で静かな金文のたたずまいに魅了され、ひたすらその線質を求めました。あれから6年もの歳月が過ぎましたが、康先生の域にはほど遠いものです。

冷たい青銅の膚ではなく、暖かい紙の、美しい色彩の中に金文を遊ばせ、日本語のルーツであるこの素晴らしい文字を、世界中の人に知ってもらいたい − これが私の夢であり、願いです。

於 カナダ カムループス July '95, 長 敦子


中国北京、故宮博物院、銘刻館入口


銘刻館、展示室の青銅器


康先生御夫妻と ('89)


康先生の書斎にて古代文字の推考


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