愛知の文学
おじいさんのランプ
作品 | 地域 | 分類 | 作者 |
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おじいさんのランプ | 半田市 | 児童文学 | 新美南吉(にいみなんきち) |
新美南吉は童話作家。大正2(1913)年に愛知県半田(はんだ)市で生まれる。『ごん狐(ぎつね)』など今日残されている彼の童話作品の大半は,昭和18(1943年),29歳で肺結核で亡くなるまでの数年間に故郷で書かれたものである。同じ童話作家である宮沢賢治(みやざわけんじ)と比較されることが多い。昭和18(1943)年に死去。
南吉は母校の小学校や安城(あんじょう)高等女学校の教壇に立つなど教育者として郷土に貢献した。新美南吉記念館(半田市)や文学碑などが各所にあり,その足跡をたどることができる。
『おじいさんのランプ』は昭和17(1942)年に書かれ,彼の生地岩滑(やなべ)を舞台として,文明の進歩によって取り残されてゆくランプ売りを描き,滅んでゆくものへの愛惜と,それを超えた未来への積極性を感じさせる作品である。
ふるさとを愛しふるさとでの生活から多くの作品を生み出した。豊かな空想力に支えられた物語性は,死後再評価されて今日でも多くの愛読者を得て読み継がれている。
かつて東一(とういち)の祖父巳之助(みのすけ)は,ランプの明るい光にひかれランプ屋を始めた。時は流れ,「文明開化」の電灯が村に引かれることになると,巳之助はその普及に反対する。しかし,自らの過ちに気づきランプをこわし,本屋となて電灯の時代を生きていく。
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新美南吉
(にいみなんきち) -
新美南吉記念館と「ごんぎつね」
ゆかりの権現山(半田市) -
南吉の詩碑(半田市雁宿公園)
作品
「わしのやり方は少し馬鹿(ばか)だったが,わしのしょうばいのやめ方は,自分でいうのもなんだが,なかなかりっぱだったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ,日本がすすんで,自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら,すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり,自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり,世の中のすすんだことをうらんだり,そんな意気地(いくじ)のねえことは決してしないということだ」
東一君は黙って,ながい間おじいさんの,小さいけれど意気のあらわれた顔をながめていた。