知識を整理する通史・テーマ史点視平民社の設立 民権論・国権論の対立井上馨の欧化主義への批判国家主義の高揚国家主義への疑問対立批判対抗論争労働争議活発化。社会主義政党結成。国家主義への疑問と,個人主義の風潮。煩悶する青年層の増加など●陸羯南(日本新聞社社長兼主筆)●新聞「日本」 1889年,憲法発布日に創刊1894 日清戦争(〜95) 1895 三国干渉不平等条約改正論・国権拡張論の高まり国権論へ転化する者も1882〜朝鮮問題(←←p.252)井上馨の条約改正交渉開始(←←p.250)近代的民族主義(日本の固有性を重視・発展させるナショナリズム)国家の独立を重視。正岡子規を採用し俳句の革新を図るまさおかしきくがかつなん日本文化の固有性を強調。労働者らを基礎とし,高島炭鉱問題でも論陣●三宅雪嶺・志賀重昂ら政教社設立●雑誌「日本人」 1888年創刊せつれいしげたか●高山樗牛ら●雑誌「太陽」 1895年創刊大陸進出を肯定ちょぎゅう政府の欧化主義を批判。一般国民(平民)の欧化を主張とくとみ そ ほう●徳富蘇峰が民友社設立●雑誌「国民之友」 1887年創刊国家主義が思想界の主流にはんもん1890年「国民新聞」発行国権論 加藤弘之(←←p.234)ら国家権力の強化・拡張が実現すれば,国民の権利・自由が保たれる国民の権利・自由が保障されて初めて国家権力が強化される国民道徳の強化1908 戊申詔書の発布(→→p.262)地方改良運動を推進(→→p.281)ぼしんしょうしょ条約改正のための極端な欧化主義富国強兵・殖産興業・文明開化 欧米列強への対抗・近代化が目標日清戦争開戦前後から対外膨張論に転じる1C1A国粋主義国民主義1D日本主義1904 日露戦争(〜05) 明治維新以来の国家目標が達成されたという意識平民的欧化主義(平民主義) 1B(→→p.283)民権論 中江兆民・植木枝盛(←←p.234)らちょうみんえもり23SZ_R055W 100mm H 148mmP.257新 聞 名創刊年横浜毎日新聞日にっ新しん真しん事じ誌し東京日日新聞郵便報知新聞朝ちょう野や新聞*読売新聞*朝日新聞時事新報自由新聞東京朝日新聞大阪毎日新聞日本国民新聞万よろず朝ちょう報ほう平民新聞(←←p.235)(←←p.241)(←←p.242)(←←p.242)(←←p.242)11C1870(明3)1872(〃5)1872(〃5)1872(〃5)1874(〃7)1874(〃7)1879(〃12)1882(〃15)1882(〃15)1888(〃21)1888(〃21)1889(〃22)1890(〃23)1892(〃25)1903(〃36)* は小こ新しん聞ぶん(娯楽的報道が中心)。小新聞に対し,政論主体のものを大新聞という。2明治時代の主な新聞・雑誌雑 誌 名創刊年内 容明めい六ろく雑誌女学雑誌国民之友日本人文学界太陽少年世界ホトトギス労働世界中央公論明みょう星じょうアララギ白しら樺かば青せい鞜とう1874(明7)1885(〃18)1887(〃20)1888(〃21)1893(〃26)1895(〃28)1895(〃28)*1897(〃30)1897(〃30)1899(〃32)1900(〃33)1908(〃41)1910(〃43)1911(〃44)近代思想の紹介誌(←←p.234)女子教育・政治などの評論民みん友ゆう社しゃの機関誌1B政教社の機関誌1A北きた村むら透とう谷こくら創刊(→→p.286)高たか山やま樗ちょ牛ぎゅうが主しゅ幹かん。日本主義1D明治の代表的少年雑誌正岡子し規き協力。松山で創刊。俳句雑誌労働組合期成会の機関誌学術・文芸などの総合雑誌(→→p.291)明星派の機関誌。詩歌雑誌(→→p.286)伊い藤とう左さ千ち夫お(子規の門下)創刊。短歌雑誌白樺派の同人雑誌(→→p.293)青鞜社の機関誌(→→p.273)*翌年,子規門下の高たか浜はま虚きょ子しが受け継ぎ東京で発刊。1明治時代の思想の動向 国粋主義とは,旧来 国粋主義とは,旧来存存そん立立りつすする国家の制度を改めずに維持る国家の制度を改めずに維持すべしというものではない。すべしというものではない。制度を発達させると同時に国制度を発達させると同時に国家特有の精神を保存し,これ家特有の精神を保存し,これをを顕顕けん彰彰しょう・助長するものである。・助長するものである。(「日本人」1889年5月) 世の中の人々の心は, 世の中の人々の心は,舞舞ぶ踏踏とう会会かいや競馬など(の欧化政策)にや競馬など(の欧化政策)に飽きてしまった。…しかし,飽きてしまった。…しかし,これと共に進歩の気運を排除これと共に進歩の気運を排除すべきではない。すべきではない。舞踏会を憎んで男女の交流を舞踏会を憎んで男女の交流を憎み,憎み,贅贅ぜい沢沢たくを憎んで自由貿易を憎んで自由貿易を憎み,外国人の立法権への干渉を憎んでを憎み,外国人の立法権への干渉を憎んで内内ない地地ち雑雑ざっ居居きょを憎み,貴族的社会改良を憎んで平民的社会改良を憎んを憎み,貴族的社会改良を憎んで平民的社会改良を憎んでは,日本は活動力を失う。…日本社会に必要なものは,他国では,日本は活動力を失う。…日本社会に必要なものは,他国の風俗であっても取り入れるべきである。の風俗であっても取り入れるべきである。 (「国民之友」1887年10月) いくら国権を拡張し,外国を侵略したとしても,個人の権 いくら国権を拡張し,外国を侵略したとしても,個人の権利を利を蹂蹂じゅう躙躙りんしたとしたら,国家の目的はどこにあるというのか。したとしたら,国家の目的はどこにあるというのか。(□将来之日本□1886年10月)1A三み宅やけ雪せつ嶺れいと国こく粋すい主義1B徳とく富とみ蘇そ峰ほうと平民的欧化主義2 三宅雪嶺(1860〜1945)4 徳富蘇峰(1863〜1957)(公財)徳富蘇峰記念塩崎財団蔵1 「日本人」3 「国民之友」1C徳富蘇峰の主張1D日本主義 私は,国家の生存のため, 私は,国家の生存のため,また,日本が新たに得た地また,日本が新たに得た地位を維持・拡張するため,位を維持・拡張するため,ぜひとも軍備拡張を禁止すぜひとも軍備拡張を禁止すべきではないと信じる。こべきではないと信じる。これと同時に,産業の発達をれと同時に,産業の発達を並行して進めるべきである。並行して進めるべきである。(「国民新聞」1894年11月) 徳富蘇峰の主張は,どのように変化したのだろうか?Q6 平民新聞 1903年11月 1903年11月創刊。第1号は8000部発行さ創刊。第1号は8000部発行されたが,政府の弾圧や購読者れたが,政府の弾圧や購読者数の減少で,1905年1月に廃数の減少で,1905年1月に廃刊となった。刊となった。 日清戦争を契けい機きに,日本国内では国家主義が高揚した。幸こう徳とく秋しゅう水すい・堺さかい利とし彦ひこらは,1903年,ロシアとの開戦を主張するようになった万よろず朝ちょう報ほう社を退社し,平民社を結成した。機関紙「平民新聞」を発行し,日露戦争に対する非戦論・反戦論を展開した(←←p.255)。また,社会主義運動を支えた(→→p.282)。5 「太陽」高高たか山山やま樗樗ちょ牛牛ぎゅうが1897が1897年に年に雑誌「太陽」雑誌「太陽」に発表した「日に発表した「日本主義」は,日清本主義」は,日清戦争後の国家主戦争後の国家主義を代表する論義を代表する論文となった。文となった。1〜3 5は日本近代文学館蔵(←←p.255)明治時代の思想と新聞・雑誌257257特集特集国民の思想が変化した要因は,何だろうか?深めよう日露戦争の結果,日本とアジア諸国との関係はどのように変化するのだろうか?つなげよう9BWGEG8_P0256-0257.indd 2579BWGEG8_P0256-0257.indd 2572023/01/20 12:182023/01/20 12:18世界世界(『世界経済の成立と発展』)世界の工業生産に占める各国の割合(年)403530520101502518506070809019001013日本フランスイギリスアメリカドイツロシア(%)W 43mm H 45mmP.25423SG_R084ポートサイド地中海紅紅海海スエズ運河シナイ半島エジプトスエズ23SM_R080W 17mm H 20mmP.254露英墺伊独仏「光栄ある孤立」米モンロー宣言1882 三国同盟 対立23SZ_R070W 64mm H 31mmP.2542A赤道カナダメキシコペルーチリアルゼンチンアメリカイギリスドイツリベリアシャム(タイ)フランスロシア清日本キューバサンフランシスコシカゴオランダベルギーデンマークスペインイタリアオスマン帝国ネパールブータンペルシアポルトガルオレンジ自由国トランスヴァール共和国モロッココンゴ自由国コロンビアエクアドルベネズ エラパラ グアイブラジルウルグアイボリ ビアドイツ領南洋諸島韓国ウラジヴォストークオーストリア=ハンガリーモスクワアラスカギアナリオデオロ フランス領北アフリカガンビアシエラレオネアシャンティトーゴフランス領コンゴリオムニウガンダカメルーンポルトガル領ギニアアンゴラローデシア南西アフリカケープ植民地ベチュアナランドマダガガスカルドイツ領東アフリカニアサランドニアサランドケニアエリトリアアフガニスタン台湾フィリピンオランダ領東インドオーストラリアニュージーランドインドイギリス領ソマリランドイタリア領ソマリランドジブチリビアフランス領西アフリカナイジェリアモザンビークエジプトビルマアラビアアルジェリアチュニジアフランスの横断政策エチオピアエジプト=スーダンイギリスの縦断政策マダガスカルフランス領 インド シナ連邦イギリス領フランス領ロシア領アメリカ領ドイツ領イタリア領オランダ領ポルトガル領その他の国とその植民地バルチック艦隊進路(→→p.256)主な鉄道23SM_R068W 185mm H 87mmP.254アメリカ1869 大陸横断鉄道が開通1873 金本位制(実際は金銀複本位制〜99)1898 アメリカ□スペイン戦争 フィリピン・グアム領有 ハワイ併合1899 中国の門戸開放・機会均等を提議1900 北ほく清しん事変1905 桂かつら・タフト協定 ポーツマス条約を仲介1909 南満洲鉄道の中立に関し提議1911 日米通商航海条約1914 パナマ運河が開通イギリス1816 金本位制確立1875 スエズ運河を買収1877 イギリス領インド帝国成立1882 エジプト占領1886 ノルマントン号事件1894 日英通商航海条約1895 イギリス領マレー連合州成立1898 九竜半島と付属の島・威い海かい衛えいの租借権を獲得1900 北清事変1902 第1次日英同盟協約(05 第2次,11 第3次)フランス1869 スエズ運河が開通1876 金本位制確立1881 チュニジアを保護国化1884 清仏戦争(〜85)1887 フランス領インドシナ連邦成立1895 三さん国ごく干かん渉しょう1899 広州湾の租借権を獲得1900 北清事変1904 英仏協商1907 日仏協約および仏印に関する宣言書1912 モロッコを保護国化ロシア1875 樺から太ふと・千ち島しま交換条約1891 シベリア鉄道起工(1916完成) 露仏同盟合意(1894調印)1895 三国干渉1896 東とう清しん鉄道の敷ふ設せつ権けんを獲得 (1903完成)1897 金本位制確立1898 旅順・大連の租借権を獲得1900 北清事変。満洲占領1904 日露戦争(05 ポーツマス条約)1907 第1次日露協約(日露協商)(10 第2次,12 第3次,16 第4次)1 スエズ運河 紅海 紅海と地中海を結ぶ全長162.5と地中海を結ぶ全長162.5㎞,水深8mの運河。フ㎞,水深8mの運河。フランスの主導で1869年にランスの主導で1869年に完成した。スエズ運河を完成した。スエズ運河を利用したヨーロッパ―ア利用したヨーロッパ―アジア間の航路は,アフリジア間の航路は,アフリカ南端を経由するのに比カ南端を経由するのに比べ,約1万㎞短縮された。べ,約1万㎞短縮された。イギリスは1882年にエジイギリスは1882年にエジプトを軍事占領,スエズプトを軍事占領,スエズ運河は1956年までイギリ運河は1956年までイギリスの支配下にあった。スの支配下にあった。解 説19世紀後半,アメリカやドイツが急速に工業化を進め,台頭した。一方,19世紀半ばまで繁栄を誇ったイギリスは,1873年に始まった世界規模の不況から脱出できず,低迷した。19世紀末には,ロシアや日本でも工業化が始まり,工業力において,イギリスの地位は相対的に低下し始めた。2 19世紀後半の国際関係 各国で工業化 各国で工業化が進展すると,原料の供が進展すると,原料の供給地や製品の市場として給地や製品の市場としてアジア・アフリカへの進アジア・アフリカへの進出が激化した。各国は世出が激化した。各国は世界各地で,植民地の拡大界各地で,植民地の拡大をめぐり対立した。をめぐり対立した。3 シベリア鉄道建設 ロシアは,フラ ロシアは,フランス資本でシベリア鉄道の建設を開始。こンス資本でシベリア鉄道の建設を開始。これにより,ロシアは,アジアへの海上交通れにより,ロシアは,アジアへの海上交通路を握るイギリスに阻まれることなく,東路を握るイギリスに阻まれることなく,東アジアへ進出する可能性が出てきた。アジアへ進出する可能性が出てきた。 シベリア鉄道が,日本の外国に対する政略や,商業に及ぼす影響は多大である。 (1891年稲垣満次郎『西シ比ベ利リ亜ア鉄道論』)1帝国主義 1A1900年頃の世界 (←←p.218・→→p.266)注)年表中の青字は日本関連。金本位制については(→→p.274)。1B工業化の進展とアメリカ1Cスエズ運河とイギリス・フランス1Dシベリア鉄道とロシア(←←p.251)1900年頃の世界254254帝国主義政策を進める列強に対し,日本はどのように対応したのだろうか?アプローチ 「影響は多大」なのは,なぜだろうか?Q9BEPFJ7_P0254-0255.indd 2549BEPFJ7_P0254-0255.indd 2542023/01/23 13:522023/01/23 13:52まとめまとめ時代古 墳(→→p.50)飛鳥・奈良(→→p.65)・平安初期平安中〜後期(→→p.100〜103)鎌 倉(→→p.118)室 町(→→p.137)戦 国(→→p.154)安土・桃山(→→p.162)江戸初期(→→p.184)江戸中〜後期(→→p.201)明治〜昭和初期(→→p.231)昭和(戦後)(→→p.332)時代体 制体 制土地と人民、税制の図解豪 族部 曲(私有民)田荘(私有地)大王家労役・貢納労役・貢納屯倉(直轄領)田 部大王家の部民( )みやけかき べたどころろうえき23SZ_A092W 33.5mm H 57mmP.12中央政府民 衆(「公民」)調・庸口分田(「公地」)国 府租・雑徭ぞうよう23SZ_A093W 36mm H 57mmP.12国 司(受領)田 □(名主)派遣年貢など公領田 □(名主)年貢など荘園荘園領主(本家・領家)年貢など目 代荘 官ずりょうもく だいた と年貢などみょうしゅ23SZ_A094W 36mm H 57mmP.12荘園領主・国司地頭(御家人)名 主年貢・公事・夫役荘園・公領将 軍「御恩」「奉公」くじぶやく年貢・公事・夫役23SZ_A095W 28.5mm H 57mmP.12荘園領主名主,地侍年貢年貢惣村将 軍守護大名国 人指揮じざむらい年貢支配23SZ_A096W 26mm H 57mmP.12惣村戦国大名国人〈寄親〉地侍〈寄子〉,農 民知行地年貢などぐんやくよりおやよりこちぎょう指揮軍役W 26mm H 57mmP.1323SZ_A097村年貢年貢軍役知行地代 官大 名政 権農 民W 26mm H 57mmP.1323SZ_A098村年貢・諸役(取りまとめ)領主(幕府・藩)村方三役(村役人)代 官一般の本百姓年貢・諸役W 26mm H 57mmP.1323SZ_A099(取りまとめ)村年貢・諸役年貢・諸役領主(幕府・藩)地主(豪農)〈村役人〉小作人小作料代 官一般の本百姓W 26mm H 57mmP.1323SZ_A100地租小作料政 府小作農(小作人)土地所有者自作農地 主W 26mm H 53mmP.1323SZ_A101政 府(国・地方)小売など国 民間接税間接税直接税W 26mm H 53mmP.1323SZ_A102土地と人民、税制の図解土 地 と 人 民氏姓制度● ヤマト政権が勢力を拡大● 大王は豪族に姓カバネを与える● 豪族は田た荘どころ(私有地),部かきべ曲(私有民)を領有し,経済基盤に● 地方豪族は国くにのみやつこ造に任じられ,屯みやけ倉(直轄領),名な代しろ・子こ代しろの部(大王家の直属民)を管理● ヤツコ(奴ぬ婢ひ)も存在公地公民制(→→p.58)● 改新の詔みことのり(646)で,部曲・田荘を廃止律令制の完成 ● 民衆を戸こ籍せき (2 写真)・ 計けい帳ちょうに登録● 班田収授法…口く分ぶん田でん支給 ● 口分田不足に対応,税の増収のため,三さん世ぜ一いっ身しん法ほう(723), 墾こん田でん永えい年ねん私し財ざい法ほう(743)(→→p.75)私有地の拡大 初期荘園の発生(8〜9世紀)● 農民の浮ふ浪ろう・逃亡●偽ぎ籍せき● 直営方式の採用…公く営えい田でん・官かん田でんなど律令制の転換● 班田収授が困難に …偽籍など(4 写真)(→→p.101)● 延えん喜ぎの荘園整理令(902)● 国司の暴政 …尾お張わりの国くに郡ぐん司じ百ひゃく姓しょう等ら解げ(988)(5 写真)● 開かい発はつ領りょう主しゅによる所領の寄進寄進地系荘園の発生(11世紀〜) ● 延えん久きゅうの荘園整理令(1069)● 国内は荘・郡・郷などに荘園公領制の成立(11世紀後半〜)● 知行国の制度(→→p.108)封建制度の始まり● 源頼朝が荘園・公領に地頭を設置(1185)(→→p.117)● 承じょう久きゅうの乱(1221)後,地頭の全国拡大(→→p.121) 地頭の支配権拡大 (→→p.122)● 地頭の暴政 … 阿あ氐て河がわ荘 民の訴状 (1275) (6 写真)● 地頭・荘園領主間の紛争 …地頭請うけ,下した地じ中ちゅう分ぶんで解決●悪党の登場(→→p.128人物)守護の権限拡大● 室町幕府は守護の荘園・公領への権限強化 … 半はん済ぜい令れい(1352), 守護請守護大名に成長● 国こく人じん一揆荘園・公領の内部に惣村の形成(→→p.142)● 地じ下げ請 (惣村で年貢取りまとめ)● 土一揆 ● 国一揆戦国大名の分国支配● 寄より親おや・寄より子こ制 … 地じ侍ざむらい層を国人層に預け,統制● 指さし出だし検地の実施,検地帳の作成太閤検地(1582〜98)● 面積・容積の統一● 検地帳(11 写真)作成 …一いっ地ち一いっ作さく人にんの原則荘園の消滅● 村むら切ぎり…惣村を再編成● 兵農分離の社会へ幕藩体制の確立…村を基盤に構成● 本百姓を中心に運営● 村請制● 水みず呑のみや隷れい属ぞく農民なども存在● 本百姓経営維持のための統制法令… 田でん畑ぱた永えい代たい売ばい買ばいの禁止令(1643) 田畑勝手作りの禁(1643) 分ぶん地ち制せい限げん令れい(1673)● 新田開発幕藩体制の動揺● 貨幣経済の浸透質流れ(田畑の売買)● 豪農の成長地主の登場● 小百姓の没落 小作人,年季奉公,日用稼ぎ,都市への出稼ぎ● 質流れの禁止令(1722)とその撤回(1723)本百姓の分解 ● 百姓一揆● 村むら方かた騒そう動どうや国こく訴そ地租改正(1873)● 江戸以来の統制法令を廃止(1871〜)● 地券(15 写真)を発行し土地所有者を明確に 松まつ方かたデフレ(→→p.275・281)● 自作農の没落 (小作農の増加)寄生地主制の成立 … 地主は小作料収入や株式投資で生活農地改革(1947実施)…GHQによる占領政策● 寄生地主制を解体● 自作農を創出16 農地改革のポスター農地改革のポスター 高度経済成長(→→p.349)● 農山漁村の過疎化の一方で,大都市の過密土 地 と 人 民税 制● 労ろう役えき・兵役● 生産物の貢納 など律令制のもと,人に課税● 租…口く分ぶん田でん1段につき2束そく2把わ (収穫の約3%)● 調・庸…特産物を都まで運ぶ● 雑ぞう徭よう…国内での労役● 兵役…衛え士じ・防さき人もり● 出すい挙こ…稲や粟あわの貸付け土地に課税(10世紀〜)受ず領りょうが田た□と(負ふ名みょう)に賦課● 官かん物もつ…租・調・庸の系譜● 臨時雑ぞう役やく…雑徭の系譜不ふ輸ゆ・不ふ入にゅうの荘園が増加 田□は名みょう主しゅへと成長● 年貢…米・絹けん布ぷなど● 公く事じ…手工業製品・特産物● 夫ぶ役やく…労役幕府・朝廷による二元的支配地頭から荘園領主・国司へ● 年貢・公事・夫役 (年貢の銭納も行われる)地頭から幕府へ● 軍ぐん役やく・番ばん役やくによる「奉公」 (「御恩」に 対して) ● 守護,大おお田た 文ぶみを作成 (7 写真) 守護による一国の一元的支配… 守護が,国こく衙がの機能を吸収,国人を家臣化庶民・商工業者から幕府へ● 土ど倉そう役やく・酒さか屋や役やく● 関せき銭せん・津つ料りょう● 段たん銭せん・棟むね別べつ銭せん● 分ぶ一いち銭せん など(→→p.138)戦国大名による分国支配 農民から(惣村ごとに)領主(国人など)へ● 年貢・夫役家臣(国人など)から大名へ● 軍役太閤検地(1582〜98) 農民から領主(大名など)へ● 年貢(二公一民)大名から政権へなど● 軍役 封建制度下の年貢 本百姓から(村ごとに)領主へ● 本ほん途と物もの成なり(四公六民・五公五民)=年貢 税法:検け見み法→享きょう保ほうの改革より,定じょう免めん法● 小こ物もの成なり…農業以外の副業に課税● 国役,伝てん馬ま役…夫役など地租改正(1873)●地租が財政の基礎に…近代的税制の整備 地租の税率は,のちに2.5%に(1877) しだいに間接税の割合が高まる占領期● シャウプ勧告で,直接税中心に(1949)(→→p.337) 高度成長後の財政再建● 初の大型間接税として消費税3%導入(1989) (→→p.353)税 制1 地方豪族の墓(岩いわ戸と山やま古墳)(ど)(ほつ)8 惣村と用水の絵図(→→p.143)9 国人一揆の連れん判ばん状じょう(1557)10 1貫文の銭束(→→p.124)12 検地の絵図検地の絵図(江戸時代)14 百姓一揆の連判状百姓一揆の連判状3 都と地方を結ぶ道(曲まがり金かね北きた遺跡)(→→p.72)(むな)(基準単位)貫高(銭)(1段=) 360歩(枡)地域ごと石高(米)300歩京枡に統一13 年年ねん貢貢ぐ割割わり付付つけ状状じょう(→→p.184)(課税基準) 収穫高(納税方法)村ごと・物納(納税者)土地耕作者地価(税率3%)個人・金納土地所有者解 説飛鳥時代,改新の詔みことのりによって,土地と人民の支配原則が私有地・私有民ではなく公地公民制であることが示された。律令制が完成すると,戸籍・計帳に基づく人民支配が行われたが,浮ふ浪ろうや逃亡が横行した。政府は墾田永年私財法などにより開発をうながしたが,貴族や大寺院による土地の独占が進んだ(初期荘園)。 平安中期以降,開発領主は開発した土地を権力者に寄き進しんし,寄進地系荘園が発生した。国司は公領を再編し,荘園公領制という中世の土地体系が成立した。 鎌倉時代になると,地頭による荘園・公領の支配が進んだ。室町時代には,守護が土地への影響力を強め,一元的な土地支配を行った。(→→p.50)5 東京 早稲田大学図書館蔵氏姓制度幕藩体制(封建的領有制)動揺解体へ封建制度公地公民制/律令制完成転換荘園公領制崩壊へ近代的税制地租改正太閤検地初期荘園の発生寄進地系荘園の発生確立地頭の支配権拡大守護の権限拡大戦国大名の分国支配成立貫高制石高制寄生地主制解体農地改革土地制度の変遷12129BEPFJ7_P0012-0013.indd 129BEPFJ7_P0012-0013.indd 122022/12/28 11:422022/12/28 11:42まとめまとめ時代古 墳(→→p.50)飛鳥・奈良(→→p.65)・平安初期平安中〜後期(→→p.100〜103)鎌 倉(→→p.118)室 町(→→p.137)戦 国(→→p.154)安土・桃山(→→p.162)江戸初期(→→p.184)江戸中〜後期(→→p.201)明治〜昭和初期(→→p.231)昭和(戦後)(→→p.332)時代体 制体 制土地と人民、税制の図解豪 族部 曲(私有民)田荘(私有地)大王家労役・貢納労役・貢納屯倉(直轄領)田 部大王家の部民( )みやけかき べたどころろうえき23SZ_A092W 33.5mm H 57mmP.12中央政府民 衆(「公民」)調・庸口分田(「公地」)国 府租・雑徭ぞうよう23SZ_A093W 36mm H 57mmP.12国 司(受領)田 □(名主)派遣年貢など公領田 □(名主)年貢など荘園荘園領主(本家・領家)年貢など目 代荘 官ずりょうもく だいた と年貢などみょうしゅ23SZ_A094W 36mm H 57mmP.12荘園領主・国司地頭(御家人)名 主年貢・公事・夫役荘園・公領将 軍「御恩」「奉公」くじぶやく年貢・公事・夫役23SZ_A095W 28.5mm H 57mmP.12荘園領主名主,地侍年貢年貢惣村将 軍守護大名国 人指揮じざむらい年貢支配23SZ_A096W 26mm H 57mmP.12惣村戦国大名国人〈寄親〉地侍〈寄子〉,農 民知行地年貢などぐんやくよりおやよりこちぎょう指揮軍役W 26mm H 57mmP.1323SZ_A097村年貢年貢軍役知行地代 官大 名政 権農 民W 26mm H 57mmP.1323SZ_A098村年貢・諸役(取りまとめ)領主(幕府・藩)村方三役(村役人)代 官一般の本百姓年貢・諸役W 26mm H 57mmP.1323SZ_A099(取りまとめ)村年貢・諸役年貢・諸役領主(幕府・藩)地主(豪農)〈村役人〉小作人小作料代 官一般の本百姓W 26mm H 57mmP.1323SZ_A100地租小作料政 府小作農(小作人)土地所有者自作農地 主W 26mm H 53mmP.1323SZ_A101政 府(国・地方)小売など国 民間接税間接税直接税W 26mm H 53mmP.1323SZ_A102土地と人民、税制の図解土 地 と 人 民氏姓制度● ヤマト政権が勢力を拡大● 大王は豪族に姓カバネを与える● 豪族は田た荘どころ(私有地),部かきべ曲(私有民)を領有し,経済基盤に● 地方豪族は国くにのみやつこ造に任じられ,屯みやけ倉(直轄領),名な代しろ・子こ代しろの部(大王家の直属民)を管理● ヤツコ(奴ぬ婢ひ)も存在公地公民制(→→p.58)● 改新の詔みことのり(646)で,部曲・田荘を廃止律令制の完成 ● 民衆を戸こ籍せき (2 写真)・ 計けい帳ちょうに登録● 班田収授法…口く分ぶん田でん支給 ● 口分田不足に対応,税の増収のため,三さん世ぜ一いっ身しん法ほう(723), 墾こん田でん永えい年ねん私し財ざい法ほう(743)(→→p.75)私有地の拡大 初期荘園の発生(8〜9世紀)● 農民の浮ふ浪ろう・逃亡●偽ぎ籍せき● 直営方式の採用…公く営えい田でん・官かん田でんなど律令制の転換● 班田収授が困難に …偽籍など(4 写真)(→→p.101)● 延えん喜ぎの荘園整理令(902)● 国司の暴政 …尾お張わりの国くに郡ぐん司じ百ひゃく姓しょう等ら解げ(988)(5 写真)● 開かい発はつ領りょう主しゅによる所領の寄進寄進地系荘園の発生(11世紀〜) ● 延えん久きゅうの荘園整理令(1069)● 国内は荘・郡・郷などに荘園公領制の成立(11世紀後半〜)● 知行国の制度(→→p.108)封建制度の始まり● 源頼朝が荘園・公領に地頭を設置(1185)(→→p.117)● 承じょう久きゅうの乱(1221)後,地頭の全国拡大(→→p.121) 地頭の支配権拡大 (→→p.122)● 地頭の暴政 … 阿あ氐て河がわ荘 民の訴状 (1275) (6 写真)● 地頭・荘園領主間の紛争 …地頭請うけ,下した地じ中ちゅう分ぶんで解決●悪党の登場(→→p.128人物)守護の権限拡大● 室町幕府は守護の荘園・公領への権限強化 … 半はん済ぜい令れい(1352), 守護請守護大名に成長● 国こく人じん一揆荘園・公領の内部に惣村の形成(→→p.142)● 地じ下げ請 (惣村で年貢取りまとめ)● 土一揆 ● 国一揆戦国大名の分国支配● 寄より親おや・寄より子こ制 … 地じ侍ざむらい層を国人層に預け,統制● 指さし出だし検地の実施,検地帳の作成太閤検地(1582〜98)● 面積・容積の統一● 検地帳(11 写真)作成 …一いっ地ち一いっ作さく人にんの原則荘園の消滅● 村むら切ぎり…惣村を再編成● 兵農分離の社会へ幕藩体制の確立…村を基盤に構成● 本百姓を中心に運営● 村請制● 水みず呑のみや隷れい属ぞく農民なども存在● 本百姓経営維持のための統制法令… 田でん畑ぱた永えい代たい売ばい買ばいの禁止令(1643) 田畑勝手作りの禁(1643) 分ぶん地ち制せい限げん令れい(1673)● 新田開発幕藩体制の動揺● 貨幣経済の浸透質流れ(田畑の売買)● 豪農の成長地主の登場● 小百姓の没落 小作人,年季奉公,日用稼ぎ,都市への出稼ぎ● 質流れの禁止令(1722)とその撤回(1723)本百姓の分解 ● 百姓一揆● 村むら方かた騒そう動どうや国こく訴そ地租改正(1873)● 江戸以来の統制法令を廃止(1871〜)● 地券(15 写真)を発行し土地所有者を明確に 松まつ方かたデフレ(→→p.275・281)● 自作農の没落 (小作農の増加)寄生地主制の成立 … 地主は小作料収入や株式投資で生活農地改革(1947実施)…GHQによる占領政策● 寄生地主制を解体● 自作農を創出16 農地改革のポスター農地改革のポスター 高度経済成長(→→p.349)● 農山漁村の過疎化の一方で,大都市の過密土 地 と 人 民税 制● 労ろう役えき・兵役● 生産物の貢納 など律令制のもと,人に課税● 租…口く分ぶん田でん1段につき2束そく2把わ (収穫の約3%)● 調・庸…特産物を都まで運ぶ● 雑ぞう徭よう…国内での労役● 兵役…衛え士じ・防さき人もり● 出すい挙こ…稲や粟あわの貸付け土地に課税(10世紀〜)受ず領りょうが田た□と(負ふ名みょう)に賦課● 官かん物もつ…租・調・庸の系譜● 臨時雑ぞう役やく…雑徭の系譜不ふ輸ゆ・不ふ入にゅうの荘園が増加 田□は名みょう主しゅへと成長● 年貢…米・絹けん布ぷなど● 公く事じ…手工業製品・特産物● 夫ぶ役やく…労役幕府・朝廷による二元的支配地頭から荘園領主・国司へ● 年貢・公事・夫役 (年貢の銭納も行われる)地頭から幕府へ● 軍ぐん役やく・番ばん役やくによる「奉公」 (「御恩」に 対して) ● 守護,大おお田た 文ぶみを作成 (7 写真) 守護による一国の一元的支配… 守護が,国こく衙がの機能を吸収,国人を家臣化庶民・商工業者から幕府へ● 土ど倉そう役やく・酒さか屋や役やく● 関せき銭せん・津つ料りょう● 段たん銭せん・棟むね別べつ銭せん● 分ぶ一いち銭せん など(→→p.138)戦国大名による分国支配 農民から(惣村ごとに)領主(国人など)へ● 年貢・夫役家臣(国人など)から大名へ● 軍役太閤検地(1582〜98) 農民から領主(大名など)へ● 年貢(二公一民)大名から政権へなど● 軍役 封建制度下の年貢 本百姓から(村ごとに)領主へ● 本ほん途と物もの成なり(四公六民・五公五民)=年貢 税法:検け見み法→享きょう保ほうの改革より,定じょう免めん法● 小こ物もの成なり…農業以外の副業に課税● 国役,伝てん馬ま役…夫役など地租改正(1873)●地租が財政の基礎に…近代的税制の整備 地租の税率は,のちに2.5%に(1877) しだいに間接税の割合が高まる占領期● シャウプ勧告で,直接税中心に(1949)(→→p.337) 高度成長後の財政再建● 初の大型間接税として消費税3%導入(1989) (→→p.353)税 制1 地方豪族の墓(岩いわ戸と山やま古墳)(ど)(ほつ)8 惣村と用水の絵図(→→p.143)9 国人一揆の連れん判ばん状じょう(1557)10 1貫文の銭束(→→p.124)12 検地の絵図検地の絵図(江戸時代)14 百姓一揆の連判状百姓一揆の連判状3 都と地方を結ぶ道(曲まがり金かね北きた遺跡)(→→p.72)(むな)(基準単位)貫高(銭)(1段=) 360歩(枡)地域ごと石高(米)300歩京枡に統一13 年年ねん貢貢ぐ割割わり付付つけ状状じょう(→→p.184)(課税基準) 収穫高(納税方法)村ごと・物納(納税者)土地耕作者地価(税率3%)個人・金納土地所有者解 説安土・桃山時代の太たい閤こう検地では,一地一作人の原則により農民は土地の耕作権(所有権)を認められ,荘園は消滅した。江戸時代,幕府は大名に知ち行ぎょう地を与える一方,百姓らの土地売買を禁止する法令を発した。実際には,徹底されることなく,質しち流れのかたちで田畑の売買が行われた。 明治時代,政府による地ち租そ改正で,土地耕作者が村単位で現物納するという方式は廃止され,土地所有者が個人で金納するという,近代的な土地・税制が成立した。その後,松まつ方かたデフレによって中下層農民は没落し,寄生地主制が成立した。 戦後の農地改革によって寄生地主制は解体され,零れい細さいな自作農が多く創出された。→入試のツボ土地制度史のポイント(1754)氏姓制度幕藩体制(封建的領有制)動揺解体へ封建制度公地公民制/律令制完成転換荘園公領制崩壊へ近代的税制地租改正太閤検地初期荘園の発生寄進地系荘園の発生確立地頭の支配権拡大守護の権限拡大戦国大名の分国支配成立貫高制石高制寄生地主制解体農地改革 13139BEPFJ7_P0012-0013.indd 139BEPFJ7_P0012-0013.indd 132022/12/28 11:422022/12/28 11:42小国小国奴国後漢1後漢(25〜220)倭高句麗辰韓弁韓馬韓楽浪郡鮮 卑匈 奴長安洛陽 志賀島(金印出土)黄河長江 金印せんぴきょうどこうくり23SM_H038W 90mm H 70mmP.2倭高句麗辰韓馬韓楽浪郡烏 桓鮮 卑長安洛陽黄河長江弁韓 魏 (220〜265) 蜀(221〜263)呉(222〜280)成都建業帯方郡邪馬台国(推定)邪馬台国連合魏蜀呉狗奴国う がんぎしょくご 銅鏡(三角縁神獣鏡)23SM_H039W 90mm H 70mmP.22倭新羅百済長安洛陽黄河長江高句麗北魏(386〜534)〔北朝〕鮮卑宋(420〜479)〔南朝〕加耶諸国(加羅)平城会稽建康広開土王碑柔 然(モンゴル系)倭(ヤマト政権)高句麗南朝北朝 鉄鋌じゅう ぜん23SM_H040W 90mm H 70mmP.2てってい3周辺国は,皇帝の徳をしたって,来貢する。皇帝の臣下として,定期的に使節を派遣する。中国の承認を得ることによって,自国内や周辺国同士の間で,優位に立てる。定期的に土地の産物などの貢物を献上する。文明の中心である中華の皇帝が,徳をもって諸民族を感化する。周辺国の長を,王に任命する(=「冊封」)。周辺国を従えることにより,みずから大国としての威徳を示す。貢物以上の下賜品(返礼品)を与える。らいこうとくしんかみつぎもの皇帝=「中華」思想的側面(*中華思想)外交的側面(冊封体制)貿易的側面(朝貢貿易)さくほうちょうこうかしひん周辺国=「夷狄」いてき東夷・西戎・北狄・南蛮から成る。とういせいじゅうほくてきなんばん*華夷思想ともいう。かいいとく23SZ_A103W 90mm H 53.5mmP.2日本朝鮮中国事 項 57 倭わの奴な国こくの王,後ご漢かんに遣使 107 倭国王帥すい升しょう等,後漢に遣使 239 女王卑ひ弥み呼こ,魏ぎに遣使 266 倭の女王,晋しんに遣使 372 百くだら済王,倭王に七しち支し刀とうを贈る 391 倭 ,百済・新しらぎ羅を破る (広こう開かい土ど王おう碑) 421 倭 王讃さん・珍ちん・済せい・興こう,南朝 の宋そうに遣使(〜462) 478 倭王武ぶ,宋に遣使 512 百 済,加か耶や西部の支配を確立(〜513) 527 磐いわ井いの乱 538 仏教公伝(552年説も) 562まで 加耶諸国滅亡 607 遣隋使小お野のの妹いも子こ派遣 630 第1回遣唐使派遣 663 白はく村そん江こうの戦い 676 新羅,朝鮮半島統一 717 阿あ倍べの仲なか麻ま呂ろら入にっ唐とう 727 初めて渤ぼっ海かい使が来日 753 唐より鑑がん真じん来日 759 日本で新羅攻撃計画 804 最さい澄ちょう・空くう海かいら入唐 894 遣唐使の派遣を停止 936 高こう麗らい,朝鮮半島統一 983 奝ちょう然ねん,宋の太たい宗そうに謁見 1019 刀と伊いの入にゅう寇こう弥 生古 墳飛 鳥奈 良平 安高句麗渤 海高 麗三 韓百 済新 羅新周後 漢呉蜀魏晋(西晋)東 晋宋斉梁陳五胡十六国五代十国北 魏隋唐唐宋(北宋)(め)(はくすきのえ)朝貢(は期間)朝貢し冊封を受ける後漢に朝貢。光武帝,金印「漢かんの委わの奴なの国こく王おう」を下か賜し。冊封(『後ご漢かん書じょ』東とう夷い伝でん)地図 1魏に朝貢。魏,「親しん魏ぎ倭わ王おう」の称号と銅鏡などを下賜。 冊封(『魏ぎ志し』倭わ人じん伝でん)地図 2倭の五王が南朝の宋に朝貢。宋は求めに応じて安あん東とう(大だい)将しょう軍ぐん倭(国)王とする。冊封(『宋そう書じょ』倭国伝)地図 3南北朝を統一した隋ずいに朝貢。冊封は受けず。地図 4宋に朝貢せず。私貿易が行われる。地図 6唐に朝貢。冊封は受けず。日本は新羅・渤ぼっ海かいを朝貢国として扱う。新羅との関係悪化により,遣唐使の航路を北路から危険な南路に変更。地図 5●東アジアの国際秩序解 説中華思想を背景にした東アジアの国際秩序は,周辺国の中国への従属を前提にした外交関係である。同時に貿易関係でもあり,貢みつぎ物もの以上の下賜品が得られる周辺国には,大きな利益があった。この国際秩序を通じて,唐の時代には,漢字・儒じゅ教きょう・仏教・律りつ令りょうなどを共通項とする,東アジア文化圏が形成された。11〜2世紀の東アジア 金印「漢委奴国王」 (→→p.39)23世紀の東アジア 邪や馬ま台たい国こくの女王 (→→p.39)34〜5世紀の東アジア 倭の五王 (→→p.46) 当時の交通路(推定も含む) 朝貢関係 対立関係世界世界原始・古代の日本と東アジア229BEPFJ7_P0002-0003.indd 29BEPFJ7_P0002-0003.indd 22022/12/28 11:452022/12/28 11:45沈ちん黙もく交易域地300500100015001800沖縄本州北海道縄 文明 治貝 塚 後 期 文 化尚王朝(日清両属)弥 生続縄文文化古 墳平 安鎌倉グスク時代江戸室町戦国三山飛鳥奈良オホーツク文化擦文文化アイヌ文化*1*2倭洛陽黄河長江隋(581〜618)→唐大興城(長安)突 厥(トルコ系)高句麗(668滅)新羅百済(660滅)白村江大津宮飛鳥大宰府磐舟柵渟足柵 百済様式の仏像とっ けつ4高句麗隋倭国遣隋使23SM_H041W 90mm H 70mmP.3日本長安洛陽黄河長江渤海(698〜926)唐(618〜907)秋田城胆沢城多賀城平城京平安京大宰府新羅( )4世紀半ば〜935揚州明州(寧波)ウイグル(トルコ系)契丹(モンゴル系)能登客院松原客院きったん 正倉院宝物(紺瑠璃坏)(→→p.86)5唐日本新羅渤海遣唐使23SM_H047W 90mm H 70mmP.3日本長安河南府(洛陽)黄河杭州開封府(汴京)揚州宋(北宋)(960〜1127)呉越(907〜978)平安京博多遼(契丹)(916〜1125)(モンゴル系)西夏タングート(チベット系)女真(刀伊)(ツングース系)高麗(918〜1392)明州(寧波)長江りょう宋日本私貿易高麗23SM_H043W 90mm H 70mmP.3 オホーツク文化の人々と擦さつ文もん文化の人々は,疎そ遠えんであったといわれる。しかし,発掘や史料から交易の跡もうかがえる。その交易は,一方の者が特定の場所に物を置き,姿を消すと,他方の者が来て等価と考える物を置き立ち去る。前者が再び現れ,満足なら後者の置いた物を持ち帰るが,不満なら何もせずに帰り,適当な物が置かれるまで待つという形態の沈黙交易と考えられる。46〜7世紀の東アジア 遣隋使 (→→p.51)58〜9世紀の東アジア 遣唐使 (→→p.66)610〜11世紀の東アジア 宋との貿易 (→→p.95)●北海道・沖縄の交易からみる原始・古代(→→p.5・35) この項目の遺跡は全て沖縄県。6 芋貝(イモガイ)製の貝輪と現生の芋貝 芋貝 芋貝は沖縄など暖かいは沖縄など暖かい海でしか採れない。海でしか採れない。写真の貝輪は,縄写真の貝輪は,縄文晩期から文晩期から続ぞく縄文文化にかけての遺にかけての遺跡で出土した。広範跡で出土した。広範7 蕨わらび手て刀とうと青銅製帯おび金かな具ぐ サ サハリンの人々が北海道に進出し,7世ハリンの人々が北海道に進出し,7世紀には道東のオホーツク海沿岸や紀には道東のオホーツク海沿岸や千千ち島島しま列島へ領域を拡大した。彼らは列島へ領域を拡大した。彼らは漁漁ぎょ労労ろうやや狩狩しゅ猟猟りょうを行い,オホーツク式土器を用いを行い,オホーツク式土器を用いたた(オホーツク文化)。関連する遺跡で。関連する遺跡では,本州で多く見られる蕨手刀や,北は,本州で多く見られる蕨手刀や,北東アジア大陸の帯飾りが出土する。東アジア大陸の帯飾りが出土する。伊だ達て市 有う珠すモシリ遺跡出土 左下の貝輪の幅(高さ) 3.5cm8 オホーツク式土器(左)と擦文土器(右)左: 北見市 常とこ呂ろ遺跡出土 右:釧くし路ろ市立博物館蔵 高さ 推定27.6cm 高さ 44.4cm9 夜光貝(ヤコウガイ)製の貝かい匙さじ 夜光貝は 夜光貝は貝塚後期文化(採集が中心)を代表する交易(採集が中心)を代表する交易品。本州では祭器や品。本州では祭器や螺螺ら鈿鈿でんの材料の材料となった。貝塚後期文化の人々となった。貝塚後期文化の人々は交易で鉄製品などを入手した。は交易で鉄製品などを入手した。 久米島町 清しみず水貝塚出土 幅 約10cm11 カムィ焼 11〜14世紀に南西諸島で流通した 11〜14世紀に南西諸島で流通した陶陶とう器器き。。須須す恵恵え器器き(→→p.46)に似ているが,技法は朝鮮半島の影響を受に似ているが,技法は朝鮮半島の影響を受け,中国け,中国磁磁じ器器きに似た物もある。カムィは,に似た物もある。カムィは,窯窯かまがあったがあった徳徳とく之之の10 藤原明あき衡ひら筆『新猿さる楽がく記』(11世紀。平安後期) 当時の商人の姿が,八郎真人という当時の商人の姿が,八郎真人という架架か空空くうの人物にの人物に託託たくしして描かれている。広い範囲を往来して各地で品物を入て描かれている。広い範囲を往来して各地で品物を入手し,活発に私交易をし手し,活発に私交易をしていた様子が伝わる。ていた様子が伝わる。沖縄 ()周辺含む 八はち郎ろうの真ま人ひとは商人の主しゅ領りょうである。利益を重んじ妻子を顧かえりみない。…東は俘ふ囚しゅうの地(奥州)に至り,西は貴き賀かいの島(九州の南)に渡る。交易品・売買品は数え切れない。唐から物ものは沈じん香こう・丁ちょう子じ・白びゃく檀だん・蘇す芳おう・緑ろく青しょう・虎とらの皮かわ・茶ちゃ垸わん・瑠る璃りの壺つぼ・綾あや…などである。本朝の物は金・銀・真珠・夜や光こう貝がい・水銀・硫い黄おう・絹・茜あかね・鷲わしの羽はね…などである。北海道 この項目の遺跡は全て北海道。枝えさし幸町 目め梨なし泊どまり遺跡出土 刀:長さ 61.0cm 金具:縦 5.7cm囲で人の行き来があったことを示す。囲で人の行き来があったことを示す。(→→p.5地図)島島しま(鹿児島県)の方言で,の方言で,甕甕かめやや壺壺つぼをさす。 をさす。 中なか頭がみ郡西にし原はら町出土 高さ 13.3cm*1この頃の沖縄の文化を貝塚前期文化ともいう。 *2始期は鈴すず谷や式土器を,終期はトビニタイ文化を含む・含まないなど諸説ある。 世界世界 339BEPFJ7_P0002-0003.indd 39BEPFJ7_P0002-0003.indd 32022/12/28 11:452022/12/28 11:457東アジア変遷地図18点(巻頭)世界地図15点(基本ページ)巻頭の地図は,コンパクトに一覧でき,適度な情報量特集・通史的まとめ巻頭は見開き・通史で整理土地制度史(p.12・13)国際関係の概念化同体裁の地図北海道・沖縄史を補強基本ページの世界地図は,関連ページに掲載してあり,使いやすい明治時代の思想の流れと,思想と雑誌・新聞との関係をテーマにした特集(p.257)
元のページ ../index.html#7