新詳日本史 2026年度版 ダイジェスト版
13/16

主な勢力古墳前期古墳中期古墳後期古墳前方後円墳その他の古墳石舞台古墳(奈良) いしぶたいそがのうまこ蘇我馬子の墓かたかまつづか壁画古墳(→→p.78)(明日香村)岩橋千塚古墳群(和歌山) 断夫山古墳いわせつくりやま520基以上の群集墳(和歌山市)しゅうふんぐん虎塚古墳(後期)三ツ寺Ⅰ遺跡会津大塚山古墳(前期)西都原古墳群(宮崎) さいとばる稲荷山古墳(埼玉) つくしのくにのみやつこいわい筑紫国造磐井の墓岩戸山古墳(福岡)いわとやま(『筑後国風土記』による)(→→p.50)   (八女市)ひゅうがひむかしんがいめいぶんわ か たけ る高松塚古墳(ど)だんぷさん壬生車塚古墳(後期)みぶくるま づか太田天神山古墳(中期)龍角寺岩屋古墳(後期)りゅうかくじいわや角塚古墳(岩手)最北限の前方後円墳(奥州市)つのづかこんだごびょうやま誉田御□山古墳(→→p.49)(→→p.57)藤ノ木古墳(後期)(→→p.56)(→→p.48)「辛亥年… 加多支鹵大王」の銘文がある鉄剣が出土(→→p.47)(後期)(中期)(前〜後期。最盛期は中期)(後期)(中期)石塚山古墳(前期)こがね和泉黄金塚古墳(前期)観音山古墳(後期)かんのんやまいえがたはにわ九州の代表的な古墳群。家形埴輪などの形象埴輪が出土(西都市)けいしょうさい と(後期)(後期)(後期)(明日香村)(行田市)ぎょうだおうしゅう(中期)(中期)作山古墳(中期)江田船山古墳(熊本)みよめいぶんえ たふなやま「治天下 □□□鹵大王世…」の銘文がある鉄刀が出土(→→p.47) (和水町)加多支なごみ(奈良)造山古墳吉備の代表的古墳(岡山市)つくりやま(中期)(岡山)竹原古墳(福岡)装飾古墳。横穴式石室の壁に絵画が施されている(宮若市)そうしょく(後期)椿井大塚山古墳 つばい(京都)32面の三角縁神獣鏡が出土(←←p.41)(木津川市)さんかくぶちしんじゅうきょうきづがわ(前期)たけはらあめのしたしろしめししわ(かたけ)るのおおきみのごしきづか五色塚古墳(中期)いなりやま(ちく)あ す かうらまちゃうすやま(前期)浦間茶臼山古墳1はしはか□墓古墳(前期)1黒塚古墳(前期)くろづか3約600基のうち,史跡指定地内に約370基。多くは円墳(橿原市)新沢千塚古墳群(後期)(奈良)かしはらにいざわせんづか200余の横穴墓(吉見町)吉見百穴(後期)(埼玉)よしみひゃくあな(ひゃっけつ)や め遺跡赤字は地方名()かみつけぬけの翳(貴人にかざす団扇)翳(貴人にかざす団扇)さしばさしばうちわうちわ龍(青龍か)龍(青龍か)せいりゅうせいりゅう馬をひく人馬をひく人船船23SM_E009W 185mm H 143mmP.43装飾古墳。墳丘210mは東日本最大。近畿中央部  墳丘墓(←←p.37)と古墳の相違点は,何だろうか?Q  大型古墳の分布から,何がわかるのだろうか?Q300400500前  期中  期後  期□墓  ●●⑪中山大塚西殿塚東殿塚メスリ山桜井茶臼山渋谷向山●●⑦行灯山●●⑮編年の根拠が弱いもの(白石太一郎「考古学からみたワカタケル大王とその時代」)黒塚西山塚狐井城山河内大塚山⑤見瀬丸山⑥室宮山島の山巣山新木山築山川合大塚山誉田御□山②仲ツ山⑨津堂城山墓山市野山前の山岡ミサンザイ土師ニサンザイ●⑧御□山陵山●③摩湯山大塚山大仙陵●●①太田茶臼山今城塚年代大   和山城河  内和 泉摂津大和古墳群馬見古墳群古市古墳群百舌鳥古墳群0500m三島 古墳群椿井大塚山つば い陵山市庭●●⑭コナベウワナベ●●⑬ヒシアゲ石塚山宝来山 五社神     ●●⑫ごさしあんどんやまちゃうすやましぶたにむかいやまむろみややまつどうに きやまみせきつ いしろやまいましろづかはぜはしはかこんだごびょうやまやなぎもとおおやまとうまみふる いちもず佐紀古墳群さ き柳本古墳群23SK_E006W 78.5mm H 76mm金剛山地金剛山地大仙陵古墳大仙陵古墳御□山古墳御□山古墳いたすけ古墳いたすけ古墳陵山古墳陵山古墳永山古墳永山古墳4古墳の分布5古墳の墳丘部全長6近畿地方の大型前方後円墳と時期区分①〜⑮は左の表に対応(→→p.50近畿地方拡大図) (単位 m)①大だい仙せん陵りょう古墳②誉こん田だ御ご□びょう山やま古墳③陵みささぎ山やま古墳④造つくり山やま古墳⑤河内大塚山古墳⑥見瀬丸山古墳⑦渋しぶ谷たに向むかい山やま古墳⑧土は師ぜニサンザイ古墳⑨仲ツ山古墳⑨作つくり山やま古墳⑪□はし墓はか古墳⑫五ご社さ神し古墳⑬ウワナベ古墳⑭市いち庭にわ古墳⑮行あん灯どん山やま古墳486420365360335318310300286286280276265250242以上和泉河内和泉備中河内大和大和和泉河内備中大和大和大和大和大和解 説大型古墳の上位46位までが前方後円墳で,多くが近畿中央部に位置する。古墳時代前期に奈良盆地に発達した前方後円墳は,中期には大阪平野に移り大仙陵古墳や誉こん田だ御ご□びょう山やま古墳(応神天皇陵古墳)のように大型化した(→→p.50地図)。5世紀のヤマト政権の大王の墓と考えられている。北出現期古墳前期中期後期終末期*壱与200300400500600700卑弥呼倭の五王推古天皇W 83mm H 9mmP.43*飛鳥時代(飛鳥文化・白鳳文化)にあたる。6 百もず舌鳥古墳群 大阪府堺市にある大古墳群で, 大阪府堺市にある大古墳群で,大だい仙せん(山)陵りょう古墳(仁にん徳とく天皇陵古墳〈中期〉 )やや陵みささぎ山やま古墳(履り中ちゅう天皇陵古墳。上石津ミサンザイ古墳とも〈中期〉 )を含む。主に5世紀の築造である。を含む。主に5世紀の築造である。    は陪ばい冢ちょう(陪塚)と考えられている。4343各地の前方後円墳の規模の違いは,何を意味するのだろうか?深めよう埴輪や副葬品には,どのような物があるのだろうか?つなげよう13

元のページ  ../index.html#13

このブックを見る