ブルガリアアルバニアーゴ ユーゴスラヴィア内戦(1991 〜 95) ティトー没(1980)40ルビセア人共和国ユ邦 イタリア61990ハンガリーザグレブベオグラードポドゴリツァポドゴリツァドゥブロヴニクその他10アルバニア人マケドニア人モンテネグロ人混住地域 コソヴォ紛争(1997〜99)*ユーゴスラヴィアでは,1997年より ムスリムが民族として承認された。ムスリム40 %セルビア人クロアティア人ムスリムスロヴェニア人 ボスニア内戦(1992〜95)民族分布1989年国境2008年 2 月 旧ボスニア・ ヘルツェゴヴィナの 民族構成(1989年)クロアティア人18セルビア人32100200㎞ルーマニア(1945成立)連プリシュティナスコピエつい省庁舎付近に墜墜省庁舎付近にらく落落⬅p.293新新ユユ⬅p.289 また,「超大国」アメリカに対し,イスラーム主義の高揚が見ら また,「超大国」アメリカに対し,イスラーム主義の高揚が見られる中東諸国,急速に経済発展が進んだ中国,大国としての復 れる中東諸国,急速に経済発展が進んだ中国,大国としての復 権をめざすロシアとの関係も,新たな対立の軸となっている。権をめざすロシアとの関係も,新たな対立の軸となっている。クロアティア人旧旧8 c フランク王国の支配下8 c フランク王国の支配下 ローマ = カトリックに改宗に改宗ーーゴゴ連連邦邦(1992〜(1992〜 2003) 2003)10 c10 c クロアティア王国 クロアティア王国成立成立ハンガリー,ハプスブルクハンガリー,ハプスブルク家の支配(12世紀〜)家の支配(12世紀〜)ハプスブルク帝国の崩壊(1918)ハプスブルク帝国の崩壊(1918)セルブ = クロアート = スロヴェーン王国建国(1918)建国(1918)(1929 ユーゴスラヴィアと改称)(1929 ユーゴスラヴィアと改称)(独・伊軍の占領に対するレジスタンス運動をティトーが指導)(独・伊軍の占領に対するレジスタンス運動をティトーが指導) ユーゴスラヴィア連邦人民共和国成立(1945) 成立(1945) クロアティア,,スロヴェニア,マケドニア独立(1991)独立(1991) ボスニア・ヘルツェゴヴィナ独立(1995)独立(1995) モンテネグロ独立(2006)独立(2006) コソヴォ独立(2008)(2008)解 説 1991年に旧ユーゴからの独立を宣言したクロアティア・ 1991年にスロヴェニアと,,これを認めないセルビアとの内戦は,翌年ボスニは,翌年ボスニアに拡大。ムスリム・クロアティア系住民とセルビア系住民が戦った。。アに拡大。ムスリム・クロアティア系住民とセルビア系住民が戦った解 説内戦の過程でNATO軍の攻撃を受けたセルビアでは,コソヴォ自治内戦の過程でNATO軍の攻撃を受けたセルビアでは,コソヴォ自治州のアルバニア系住民が独立闘争を展開した。州のアルバニア系住民が独立闘争を展開した。しん きょう(2011年) 「アラブの 「アラブの春」で,長期独裁政権が次々と倒れる中,春」で,長期独裁政権が次々と倒れる中,15現在の社会主義国冷戦期の社会主義国民族問題が背景にあるもの➡p.306■□セルビア人9 c9 c ビザンツ帝国の支配下ビザンツ帝国の支配下 ギリシア正教に改宗に改宗14 c14 c 大セルビア王国の繁栄の繁栄 コソヴォの戦い(1389)で敗北 コソヴォの戦い(1389)で敗北オスマン帝国の支配オスマン帝国の支配セルビア人の周辺への移住セルビア人の周辺への移住セルビア王国セルビア王国ユーゴスラヴィア紛争パレスチナ問題⬅p.290・291リビア内戦赤字ケベック問題⬅p.223■□メキシコ先住民問題ペルー・エクアドル国境紛争 ベルリン条約(1878)で独立(1878)で独立 サライェヴォ事件(1914)(1914)⬅p.248コ第一次世界大戦第二次世界大戦 コソヴォ紛争で難民となったアルバニア10 コソヴォ紛争で難民となったアルバニア系住民系住民(1999年)(1999年)5B解 説 冷戦は米ソの軍事力による「恐怖の均衡」であった。 冷戦は米ソの軍事力による「恐怖の均衡」であった。解 説冷戦の終結は,抑え込まれてきた民族対立や宗教対立を表面冷戦の終結は,抑え込まれてきた民族対立や宗教対立を表面化させ,地域紛争を頻発させる皮肉な結果を招いた。化させ,地域紛争を頻発させる皮肉な結果を招いた。解 説55A解 説解 説 セルビア・ クロアティア 紛争(1991〜92)クロアティア人とセルビア人の混住冷戦後の国際紛争戦後のユーゴスラヴィアユーゴスラヴィア問題「対テロ戦争」と中東の紛争(2001年) 「IS(イスラム国)」の占領を歓迎 15するイラク住民(2014年)(2014年) フセイン政権崩 フセイン政権崩壊後のイラクでは,急進的なイスラーム主義 壊後のイラクでは,急進的なイスラーム主義 12 ウサーマ = ビン = ラーディン(1957 〜 2011) サウジアラビア出身。 (1957 〜 2011) サウジアラビア出身。 イスラーム急進派組織アル = カーイダを率イスラーム急進派組織アル = カーイダを率い,同時多発テロ事件を計画した。2011 い,同時多発テロ事件を計画した。2011 年,米軍により殺害された。年,米軍により殺害された。まっているとして,アフガニスタンのターまっているとして,アフガニスタンのターリバーン政権を攻撃した。ターリバーンリバーン政権を攻撃した。ターリバーンイラク,クウェート侵攻湾岸戦争(多国籍軍,イラクを攻撃)アメリカ軍,サウジアラビアに駐留19912001. 9同時多発テロ事件米大統領ブッシュ(子),「対テロ戦争」 .10を宣言アメリカ,アフガニスタンを攻撃ターリバーン政権崩壊2003. 3イラク戦争。フセイン政権崩壊2011アラブ諸国で反政府活動が活発化(「アラブの春」)。チュニジア,エジプト,リビア,イエメンで独裁政権崩壊。シリアは内戦状態に2014武装勢力「IS(イスラム国)」がイラク・シリア内に支配地域を広げる2015EU諸国へのシリア難民が増加「IS」によるパリ同時多発テロ事件2017イラク・シリアにおける「IS」の拠点が制圧されるは政権を追われ,対米協調路線のカルザイ政権が成立したが,は政権を追われ,対米協調路線のカルザイ政権が成立したが,2011年のアメリカ軍撤退に乗じて首都カーブルを占領,政権に返2011年のアメリカ軍撤退に乗じて首都カーブルを占領,政権に返り咲いた。➡p.3061り咲いた。⬅p.270コNATO空NATO空爆(1999)爆(1999)を掲げた武装組織が勢力を広げ, 2014年にはを掲げた武装組織が勢力を広げ, 2014年にはセルビアイラク・シリアにまたがる支配地域を築き, イラク・シリアにまたがる支配地域を築き, 「IS( イ ス ラ ム 国 )」を 自 称 し た。 そ の 思 想 に 「IS( イ ス ラ ム 国 )」を 自 称 し た。 そ の 思 想 に 共感した若者を世界中から集め戦闘員とした。 共感した若者を世界中から集め戦闘員とした。 各国でテロ事件を起こしたため友好国を得各国でテロ事件を起こしたため友好国を得られず,国際的な「IS」打倒体制がつくられ,られず,国際的な「IS」打倒体制がつくられ,2017年にシリアでの拠点を失った。2017年にシリアでの拠点を失った。 アフガニスタンでの紛争(2001年)13アメリカは,同時多発テロの首謀者をかくアメリカは,同時多発テロの首謀者をかくクリミア紛争ジョージア紛争北アイルランド紛争シリア内戦ダルフール紛争⬅p.293ソマリア内戦⬅p.293ルワンダ内戦スロヴェニアリュブリャナクロアティアボスニア・ヘルツェゴヴィナボスニア連邦サライェヴォモンテモンテネグロネグロ( )チェチェン紛争➡p.306クルド人独立問題➡p.306■□アフガニスタン紛争新疆ウイグル自治区独立運動湾岸戦争⬅p.289チベット問題イラク戦争東ティモール独立運動セルビアコソヴォコソヴォマケドニア北マケドニアに改称(2019)炎上する世界貿易センタービル炎上する世界貿易センタービル11 同時多発テロ事件 2001年 9 月11日,アメリ 2001年 9 月11日,アメリカで大型旅客機 4 機がハイジャックされ,2 機がニューカで大型旅客機 4 機がハイジャックされ,2 機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入, 1 機が国防総ヨークの世界貿易センタービルに突入, 1 機が国防総した。した。14 シリア内戦(2011年)父の代から40年間独裁政権が続くシリア父の代から40年間独裁政権が続くシリアでも反政府運動が活発となった。アサド大でも反政府運動が活発となった。アサド大統領は,軍によって反体制組織を弾圧した。統領は,軍によって反体制組織を弾圧した。国内のクルド人勢力独立運動や「IS」勢力 国内のクルド人勢力独立運動や「IS」勢力 の侵攻もあり,内戦は泥沼化。戦火から逃 の侵攻もあり,内戦は泥沼化。戦火から逃 れようとシリア難民が増加し,受け入れ国れようとシリア難民が増加し,受け入れ国となったEU諸 国 の 難 民 政 策にも 大 きな となったEU諸 国 の 難 民 政 策にも 大 きな 影響を与えた。影響を与えた。305
元のページ ../index.html#15