アクティブ地理 インタビュー特集

九州地方

未来のために,水俣病を知ってほしい
永本賢二さん

水俣市立水俣病資料館の語り部

水俣病とは,チッソという企業の化学工場の排水中のメチル水銀が原因で起こった神経をおかす公害病です。高度経済成長を支える工場による公害に,工場・市・県・国の対応が遅れ,被害が広がりました。患者は,病気といわれのない差別に苦しみました。

インタビュー

チッソの専用港のすぐ近くの海辺で,生まれ育ちました。工場で使用する原料や工場の製品をクレーンで積み下ろしをしていてにぎやかでした。友達とチャンバラやキャッチボールをして遊んでいました。海辺では,魚を釣ったり,カニを獲ったりしていました。

父が化学工場で働いていたから生活ができました。みんなが工場を悪く言うのは,工場の従業員の子どもたちがかわいそうだと思いました。

水俣市ではゴミを23分別しています。わたしも家では,空き缶洗いやペットボトルのふたの分別をやっています。面倒くささは慣れました。また,わたしが通う,水俣病患者などの障がいを持つ人が働く共同作業所では,新聞紙でエコバックをつくっています。エコバックの表側正面の柄に,水俣の記事が来るように工夫しています。

まだまだすべて救われたとは思っていません。まだまだ偏見があると感じます。もっともっと水俣病の理解を進めていかなければいけない。

水俣病のことを知ってほしかったからです。よかったことは,語り部が終わると話を聞いてくれた子どもたちと握手をします。子どもが好きなので,たくさんの子どもたちと出会えることが楽しいです。

子どもたちには自分のような体験をさせたくありません。だからわたしの体験を話しています。環境を汚すと自分やみんなに跳ね返ってきます。環境を汚してはいけません。それと,障がい者の人とたくさん触れ合って欲しい。健常者とか障がい者の壁はなくして,一緒になっていろんなことを考えて欲しいです。