野口英世
プロフィール
のぐちひでよ
日本
1876年11月9日 ~ 1928年5月21日
おもな業績
- 梅毒スピロヘータの発見(1910年) 梅毒の病原体である細菌スピロヘーターを発見した。
解 説
北里柴三郎のもとで細菌学を学び,1900年にアメリカへ渡りました。1904年にアメリカの医学研究所の研究員になりました。そこでヘビ毒の研究が認められ,梅毒の研究を任されました。梅毒は病状が進行すると,脳がむしばまれて死にいたる恐ろしい感染症でした。
野口は努力を重ね,ついに病原体「梅毒スピロヘータ」を発見し,純粋培養に成功したと発表しました。
それ以降も,黄熱病をはじめとして,さまざまな病原体を「発見」しました。しかし残念なことに,そのほとんどが間違いだったことがわかりました。
黄熱病は,アフリカから南アメリカにもちこまれた熱帯性の感染症で,死亡率が高く,恐れられていました。野口は自分の「発見」が間違いだったことがわかると,今度こそ正しい病原体を見つけるため,黄熱病の生まれた西アフリカに向かいました。しかし,自身も黄熱病に感染し,命を落としてしまいました。
野口が探していた黄熱病の病原体はウイルスでした。でも,野口の時代には電子顕微鏡はなく,光学顕微鏡ではウイルスが見えなかったのです。野口が「発見」したと考えたのは,ワイル氏病という黄熱病に似た症状をもつ別の病気の病原体だったといわれています。また,梅毒スピロヘータの純粋培養も,追試に成功したものはおらず,現在では疑問視されています。当時,世界的な細菌学者としてノーベル賞の候補にもなりましたが,その業績については,現在では否定されている部分も少なくありません。