ケプラー
プロフィール
Johannes Kepler
ドイツ
1571年12月27日 ~ 1630年11月15日
おもな業績
- 惑星の運動の法則の発見(1609〜19年) 惑星の運動についての「ケプラーの法則」を発見した。
解 説
聖職者になるために大学で神学を学んでいるとき,天文学に出会って大変興味をもちました。そして,コペルニクスの地動説に傾倒していきました。また,数学の成績も優秀でした。
大学卒業後,聖職者にはなれず,数学と天文学の教師になりました。そこでは講義のほかに,占星暦(占星術による予言をふくんだカレンダー)を書いて,生活の糧としなければなりませんでした。
結婚して幸福な家庭を営みはじめた矢先,宗教改革運動のあおりを受けて,町を追われることになりました。行くところがなくなったケプラーは,ティコ・ブラーエに招かれました。ブラーエは天文学者で,望遠鏡のなかった時代に天文観測を行い,正確な観測結果をたくさん残していました。
ブラーエは,自身が行った観測データから地動説の証拠を見出すことができず,独自の天動説を提唱しました。ブラーエが亡くなったあと,ブラーエの観測データの整理を,ケプラーが遺言によって引きつぎました。
ブラーエの大量のデータをもとに,20年もの間,惑星の研究を行い,惑星の運動についての重要な法則(ケプラーの法則)を導き出しました。
- 第1法則(だ円軌道の法則) 惑星は,太陽を1つの焦点とするだ円軌道上を動く。
- 第2法則(面積速度一定の法則) 惑星と太陽を結ぶ線が,同じ時間にえがく部分の面積は一定である。
- 第3法則(調和の法則) 惑星の公転周期の2乗は,軌道長半径の3乗に比例する。
それまでの地動説では惑星の公転軌道は円と考えられていましたが,公転軌道をだ円とするケプラーの法則のおかげで,より正確に観測データを説明できるようになりました。また,この成果をもとにして,ニュートンは万有引力の法則を導き出しました。